明治時代の考古学

閲覧数2,358
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    第三 明治時代の考古学
     一 明治時代初期
    8.弥生式土器の発見と人類学会の創立

    ● 弥生式土器の発見
    1844(明治17)年の3月に、つぼい坪井しょうごろう正五郎はありさか有坂しょうぞう鉊蔵・しらいこう白井光たろう太郎とともに東京都文京区弥生町の向ヶ丘貝塚において一個の土器を発見した。しかし、当時は弥生式土器の呼称は用いられず、正式に用いられるようになったのは1896(明治29)年に出されたまきた蒔田そう鎗じろう次郎の論文からである。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    第三 明治時代の考古学
     一 明治時代初期
    8.弥生式土器の発見と人類学会の創立
    弥生式土器の発見
    1844(明治17)年の3月に、は・とともに東京都文京区弥生町の向ヶ丘貝塚において一個の土器を発見した。しかし、当時は弥生式土器の呼称は用いられず、正式に用いられるようになったのは1896(明治29)年に出されたの論文からである。
    もともと、弥生式土器の発見以前、貝塚から出土する土器に関しては白井などによって縄文土器として論じられていた。弥生式土器は、縄文土器の外見的特徴と著しく異なっており、坪井はこの点に関して縄文土器と区別して考えるように早くから注意を促している。また、蒔田は弥生式土器に関する論文において弥生式土器の時代的位置関係について的確に予想している。その後、弥生式土器は使用目的についての論争を始めとして様々な研究の対象となり、考古学の学問的発達を促す材料となったのである。
    人類学会の創立
    弥生式土器発見の同年10月、坪井を筆頭に白井・・ら4名が、人類学会を設立する。日本においては、歴史研究草創期の学会であり、世界的に見てもイギリスやフランスなどに続いてその創立は古い。
    本学会...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。