大伯皇女及び有間皇子の和歌の鑑賞
第一
万葉集巻一第一〇五
わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし
大伯皇女
語釈
我が背子を→同母兄弟を姉妹が親しんで呼ぶ語。ここでは弟の大津皇子を指す。
大和へ→当時の都の大和国(飛鳥)を指す。
遣ると→帰しやると
小夜ふけて→夜が更けて。「小」は接頭語。暁露→夜露と朝露の中問ごろの露。
立ち濡れし→「し」は過去の助動詞、連体止めで余情、余韻を残す。いかに長くそこに立ち続けていたかを思わせる表現。
通釈
伊勢を訪ねて都へ帰る弟を見送り、明け方の露に濡れるまで立ちつくしてしまいました。
作歌事情
万葉集では、この二首の前に、【大津皇子ひそかに伊勢神宮に下りて上り来ましし時、大伯皇女の作りませる御歌二首】という但し書きがある。大津皇子はひそかに姉に会うため伊勢神宮に行き、人目につくのを避け、夜の深いうちに伊勢の神宮を出発した。遠い都に帰る弟の行く末を案じ、心配する姉の気持ちが詠まれている。この約十日後大津皇子は謀叛の罪で処刑された。
大和に帰る弟を思い詠んだ歌がもう一首万葉集に収められている。
一〇六 ふたり行けど 行き過ぎかたき
秋山を いかにか君が ...