C・ソーンが『米英にとっての太平洋戦争』第1章で、「だが英米両国の政府上層部には、日本はアメリカやイギリスの有する潜在的な力に挑戦するほど愚かではないと信じこんでいる人びとがいた」と述べているように、英米陣営では「日本は攻撃してくるわけはない」と思いこんでいる節があった面は否めない。その一因には自信とアジアへの差別があったことはソーンが述べている通りであろう。ところが日本、特に日本軍上層部は戦争をする気でいたのである。現在、冷静に見れば日本とアメリカが戦争して日本が勝てるとは到底思えないのであるが、この時期になぜ日本は対連合国開戦に至ったのであろうか。
いかに日本の開戦が導かれたか
C・ソーンが『米英にとっての太平洋戦争』第1章で、「だが英米両国の政府上層部には、日本はアメリカやイギリスの有する潜在的な力に挑戦するほど愚かではないと信じこんでいる人びとがいた」と述べているように、英米陣営では「日本は攻撃してくるわけはない」と思いこんでいる節があった面は否めない。その一因には自信とアジアへの差別があったことはソーンが述べている通りであろう。ところが日本、特に日本軍上層部は戦争をする気でいたのである。現在、冷静に見れば日本とアメリカが戦争して日本が勝てるとは到底思えないのであるが、この時期になぜ日本は対連合国開戦に至ったのであろうか。
日中戦争が泥沼化し、中国を支援するアメリカを中心に、日本への経済制裁が強まり、アメリカ、イギリス、中国、オランダのABCD包囲網が作られると、日本は石油や鉄等の資源が急速に不足しはじめた。そこで、近衛文麿内閣は、1941年7月に陸軍の主張する南部仏印進駐により資源を獲得しようとした。この結果アメリカは7月25日に在米日本資産凍結令、8月1日に石油全面禁輸という強硬な報復措置に出たのであるが、近衛首相も...