平安京遷都
平安京地理的背景歴史的背景
平安京 794年 桓武天皇
歴史的背景
平城京は寺院勢力が政治に介入し政治が乱れていた。桓武天皇は政治と仏教勢力との決別を図り、政治再建のため794年山背国葛野、愛宕両郡の地につくられた平安京に遷都した。
平安京遷都の背景を語る前に平安京遷都にいたる遷都の経緯を説明する。784年(延暦3年)桓武天皇は平城京から長岡京への遷都した。これは桓武天皇が天智系の天皇であり、天武天皇系の政権を支えてきた貴族や寺院の勢力が集まる大和国から脱して、新たな天智天皇系の都を造る意図があったといわれる。また、長岡の地は桓武天皇の実母の実家に近く、ゆかりのある地であった。しかし長岡京造営責任者であった藤原種継が暗殺され(785年)、その後天皇家に不幸が続き、呪われた都といわれ、遷都から僅か9年後の793年(延暦12年)の1月、桓武天皇は臣下を集め、再遷都を宣言した。
平安京への遷都を天皇に建議したのは和気清麻呂である。平安京造営伝説によれば、和気清麻呂が狩りに際して天皇を東山にお連れし、高台から三方の囲まれた盆地を指し示せば、遷都の場所が決定し、また山が城をなすような地形から、この地「山背(やましろ)の国」...