初期議会から日清戦後にかけての政党について

閲覧数5,021
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員770円 | 非会員924円

    資料紹介

    日本史のレポートです、参考にどうぞ。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    初期議会から日清戦後にかけての政党について。
    1890(明治23)年におこなわれる日本
    最初の衆議院議員総選挙を前に、旧民権派の
    再結集が進み、これに対抗する政府側では、
    すでに憲法発布直後に黒田清隆首相が、政府
    の政策は政党の意向によって左右されてはな
    らないという超然主義の立場を声明していた。
    しかし、旧民権派が総選挙に大勝し、第一回
    帝国議会(第一議会)では、立憲自由党と立
    憲改進党などの民党が衆議院の過半数を占め
    た。
    第一議会がひらかれると、超然主義の立場を
    とる第一次山県内閣は、予算問題で政費節減
    や民力休養を主張する民党に攻撃されたが、
    自由党の一部を切りくずして予算を成立させ
    た。山県は予算案の説明で国境としての「主
    権線」とともに朝鮮を含む「利益線」の防衛
    のための陸海軍増強の必要を力説した。
    次の第二議会では、第一次松方正義内閣が
    民党と衝突して衆議院を解散した。
    1892(明治25)年の第二回総選挙に
    際して、松方正義内閣は、内務大臣の品川弥
    二郎を中心に激しい選挙干渉をおこなって政
    府支持者の当選につとめたが、民党の優勢を
    くがえすことはできずに、第三議会終了後...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。