―旧ソ連の連邦構成共和国における民族の諸相と問題―
かつてソ連には、百以上の民族集団が存在するといわれていた。
ソ連時代は連邦制度とソ連共産党を通じて中央から、連邦共和国とその主要民族をロシア・ナショナリズムに傾斜しつつ抑圧する仕組みが大きな問題となっていた。さらにロシア語とそれぞれの民族の母語の問題、ソビエト政権の非宗教化政策と東方正教、イスラム教などとの関係に連邦構成共和国間の経済力の格差といった複雑な要素が結びついて連邦制度と共産党支配の維持は不可能となり、ソ連崩壊を引き起こした。
ソ連崩壊後、民族名を持った十四の連邦構成共和国が分離・独立し、ロシアはソ連から人口で半分、面積で四分の三に縮んだが、民族集団は約四十いたと指摘されている。
しかし、ロシア人の全人口に占める割合はソ連時代の52%から新生ロシアになって81%へと大幅に高まった。これは、多くの民族集団を抱える社会を統治するにはプラスであるが...