中絶における女性の権利や安全と男女平等

閲覧数2,694
ダウンロード数42
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    妊婦本人が中絶を望んでいないのに中絶をしたというケースには、中絶をさせた人や、手術を行った人に対して堕胎罪は必要ではある。しかし、男女両性が関わる問題であるのにも関わらず女性だけが処罰されるという男女不平等で、母体保護法の適用によって機能していない堕胎罪が存在しなければならない理由があるのだろうか。私にはその理由は思い当たらない。女性には、妊娠する時期を選択する権利があり、人権に普遍性がある以上、文化や宗教を口実にすることも許されない。人を死なせるものは文化や宗教とは呼べないと私は考える。

    資料の原本内容

    名古屋市立大学の加駕教授が言うように、刑法の自己堕胎罪は女性のみが犯罪の加害者になることを前提として成り立っていて、とても特殊な法律である。実際に妊娠したり、堕胎したりする主体が女性であることは確かである。よって、自己堕胎罪は女性特有の犯罪であり、女性のみを処罰の対象とすれば十分であると解釈できる。
    しかし、もし望まない妊娠をしてしまった場合はどうしたらよいのだろうか。その場合、女性にとって安全で、合法的に中絶を受けることができるかどうかは、女の人生を左右する。世界で安全な人工妊娠中絶手術を受けられないために15分に2人の女性が死亡し続けていて、彼女たちの死のほとんど全ては、防ぎうるものであったと2007年にイギリスでのWomen Deliver会議及び安全な妊娠中絶へのアクセスを実現する世界会議で報告された。この会議は、イギリスでの妊娠中絶合法化40周年を記念して、世界に「安全な妊娠中絶」を保障することを目指して開かれた。「安全な妊娠中絶」をテーマとする世界で初めての国際会議であった。安全でない妊娠中絶は妊産婦死亡の1割強を占め、年間7万人といわれている。そのうち96%もが発展途上国で生じている。この危険な妊娠中絶はもっとも軽視されてきた保健の課題のひとつである。
    ヨーロッパでは、イギリスの1967年の妊娠中絶合法化をはじめ、アメリカ合州国でも1973年に妊娠中絶を違法としないという、いわゆるロー判決をはじめとして多くの地域で妊娠中絶が合法化された。このように40年間で安全な妊娠中絶の機会を保障するための法改革は大きく前進してきた。しかし、主にアフリカでは植民地時代の法律の名残によって、ラテンアメリカではカトリック信者の支配者の指導によって、同様に中近東ではイスラム教の支配者の指導によって、未だに世界の約3割の地域で妊娠中絶が厳しく禁止され、多くの中絶した女性が罰せられている。さらにそこでは、女性の生命や健康を害する場合や性暴力による妊娠の場合でも、妊娠中絶が禁止されていることが多い。そのため、性暴力により妊娠した女性がヤミ中絶でからだを傷つけてしまったり、自分で中絶しようとして針金ハンガーを膣に挿入したり、高いところから飛びおりたり、あるいは自殺に追い込まれた例は、過去も現在も見受けられる。あらゆる手段で中絶を試みて死亡する女性が後を絶たない。2006年、ニカラグアでは、妊娠継続が女性の生命を脅かす場合も含めて、全面的に中絶を禁止し、中絶を重罰の対象とするという法律改悪がなされた。これによって1年間で数10人の女性がヤミ中絶により死亡したと報じられている。逆に、中絶を合法化した南アフリカでは妊産婦死亡数が大幅に減少した。このような事実を背景に法改革を推進する必要性が確認された。
    しかし、このように女性の身体が国家に支配され、男性に支配され、医療機関など専門者に支配され、その結果女性が自分の生命、身体、健康への権利が軽視されていることは途上国だけでの問題ではない。資料図1は2005年に内閣府が行った日本、韓国、アメリカ、フランス、スウェーデンについて、避妊や中絶に対する考え方の国際比較の結果である。グラフからわかるように、アメリカの場合ヨーロッパと同様、中絶を女性の権利と考える者が多い。一方、「妊娠した以上生むべきである」という中絶反対の意見も3割程度と比較した5カ国の中では目立って多くなっており、両者がイデオロギー的に対立している様子がわかる。未だに容認派と反対派が対立しており、中絶した女性や、中絶手術をしている病院や医者を襲撃するような反対派の過激な行動が報じられる。さらにブッシュ前大統領は、中絶を認めている国のNGO 団体には経済的協力をしないと発表した。日本では、経済成長に伴って医療水準が高くなったことや医療保健関係者の努力などによって、現在の妊産婦死亡率はとても低くなった。しかし、アメリカでは妊産婦死亡率が増加傾向にあり、この傾向は日本にもみられる。産婦人科医の減少、地域格差が問題だといわれ、現に分娩可能な病院も減少しており、ハイリスク妊婦や緊急分娩の受け入れ拒否により、妊産婦や
    胎児が死亡したというニュースを見ることも多くなった。
    望まない妊娠を防ぐこと、つまり避妊が中絶という悲劇を回避する最善の方法であるが、他の国では避妊と中絶についてどのように考えるのだろうか。図1を見ると日韓と欧米では避妊も中絶も、リプロダクティブヘルスの分野で女性の主体性を認めるか否かの点で正反対の意識となっていることがわかる。避妊については、日韓は男性が主体的に避妊するものだという意識が多くを占めているのに対して、アメリカ、フランス、スウェーデンでは女性が主体的に避妊するものだという意識が大半を占めている。望まない妊娠への対処としては、欧米、特にヨーロッパでは、そもそも女性の権利として中絶が認められるべきとの考えが一般的であるようだが、日韓では、母体に害なら認められるという、場合による考え方が中心となっている。日本人女性の妊娠の過半数が望まない、もしくは予想外の妊娠であるといわれている。しかし図1を見ると、欧米では避妊は女性が主体であると考えるのに対し、日本では男性が主体であると考えられていることがわかる。さらに別の報告では、欧米では避妊実行率が7割であるのに対して、日本では約5割に過ぎず、毎回避妊具を使用する割合は3割程度であり、避妊敗率も1割を超えているという。中絶については思春期の女性の課題が注目されやすいが実際には30歳前後での女性の妊娠中絶件数が多いことが日本の特徴である。
    ここから、日本の中絶問題について述べていきたい。日本には堕胎罪が存在する。母体保護法によって経済的理由を原因とする妊娠中絶は合法とされるが、純粋に女性の意思だけでは妊娠中絶が認められていない。ヨーロッパや北米の諸国では妊娠中絶を女性の要求のみでできるよう法改正ができているのに対し、日本では妊娠中絶のために配偶者などの同意が原則として必要とされている。しかし、堕胎罪にはいくつか問題点がある。まずは、女性のみが処罰の対象となる点である。もし、男性に妊娠させるつもりがなかった場合も、女性は堕胎罪に問われるのに対し、男性には「強制妊娠罪」というような罪もなく、なんら責任を問われない。婚姻した夫婦で、夫が避妊に協力しないことはまれなことでもなく、パートナーからの性行為の強要の体験がある女性が約2割に上る。これはれっきとした「暴力」である。さらに夫による強姦については、夫には性交を要求する権利があるとして、婚姻関係が破綻している場合にのみに強姦罪が成立するに過ぎないとした時代遅れの判例も存在する。夫による性暴力は、1993年の国連「女性に対する暴力撤廃宣言」や「北京行動綱領」を持ち出すまでもなく女性に対する暴力であり、甚だしい人権侵害である。もし、この強姦に等しい性行為の結果、女性が望まない妊娠をして中絶しても、堕胎罪に問われることになる。また、強姦以外の性行為は両者の同意の上であるのに、予想外の妊娠の責任は女性だけが引き受けなければならないのは不公平ではないか。女性も妊娠するつもりがなかったのと同じように、男性にも妊娠させるつもりがなくとも女性が妊娠してしまった以上、2人で責任を取るかどちらも責任を問われないのが道理ではないのか。予想外の妊娠はその妊娠に関わった両者で解決すべき問題である。確かに、胎児の母親は妊娠している女性であることに間違いなく、処罰の対象であることは明らかである。しかし、胎児の父親が本当に誰であるかを特定させるのは難しい。もし、特定できたとしても「堕胎共謀罪」のような罪もないので処罰することもできない。ならば、いっそのこと両者とも罪に問わないのが平等であろう。堕胎罪の存在は女性差別撤廃条約にも違反している。
    次の問題は、堕胎罪が効力を発揮していないことである。刑法に堕胎罪は存在するが、実際に堕胎罪で処罰を受けた女性はどれほどいるのだろうか。日本では年間100万件以上の中絶手術が行われ、中絶は自由化されていると多くの国民が錯覚している現状がある。中絶手術を受けられた女性が罰せられない理由は、母体保護法が機能しているからである。母体保護法は、妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れのある場合、中絶を認めている。中絶手術を受けた女性のほとんどは、この“経済的理由”によって処罰を免れている。そして、その経済的理由にも具体的な基準はなく、表面的には女性の中絶が合法化されているといえる。
    妊婦本人が中絶を望んでいないのに中絶をしたというケースには、中絶をさせた人や、手術を行った人に対して堕胎罪は必要ではある。しかし、男女両性が関わる問題であるのにも関わらず女性だけが処罰されるという男女不平等で、母体保護法の適用によって機能していない堕胎罪が存在しなければならない理由があるのだろうか。私にはその理由は思い当たらない。女性には、妊娠する時期を選択する権利があり、人権に普遍性がある以上、文化や宗教を口実にすることも許されない。人を死なせるものは文化や宗教とは呼べないと私は考える。
    <資料>
    図1 
    <参考文献、ホームページ>
    荻野美穂 2001 『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』 岩波書店
    気駕まり 2003 “ジェンダーの視点による堕胎罪の考察” 名古屋市立大学紀要
    内閣府ホームページ http://www8.cao.go.jp/shoushi/cyousa/cyousa
    イギリスでのWomen Deliver会議及び安全な妊娠中絶へのアク...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。