イジー・トルンカ

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    資料の原本内容

    イジー・トルンカ「皇帝の鶯」

    病床の少年―生彩を放つ人形
    「皇帝の鶯」ではストーリーの始めと終わりの部分が実写となっている。その二つの実写部分の間に人形アニメーションが展開されるという構成をとっている。始めの実写部分では、体が弱いため外で遊ぶことのできない少年が描かれ、その少年の想像(もしくは夢?)として活き活きとした人形たちが登場し、少年に活力と勇気を与える、というストーリーの流れをとっている。ここで人形アニメーションはそのストーリーの趣旨にあるように様々な工夫がなされている。以下にその工夫を分析していきたい。
    舞台は中国王朝

    この作品の舞台は中国王朝となっている。トルンカ作品では珍しいアジアを舞台としている。さらにその世界は子供が思い描くものである。そのため人形、衣装、装飾品などに今までとは異なる工夫が凝らしてあった。

    人形のつくりに関しては「バヤヤ」のように頭が小さく手足の長い比較的現実の人間に近いものとは異なり、「チェコの四季」のように頭が大きく手足の関節が比較的少ないものであった。このような人形のつくりにより、全身を使ったしなやかで繊細優美な演技をすることが制限される。しかし、頭を大きくし手足を短くすることで、人形の動きがぎこちなく滑稽で愛らしさや面白さがより強調されるという効果がある。「皇帝の鶯」では、無邪気な皇帝とその家来たちとのコミカルなやりとりが特徴的であり、それを際立たせるためにそのような人形を用いたと考えられる。

    衣装、装飾品に関してはどのトルンカ作品においても繊細で美しく秀逸なものとされている。「皇帝の鶯」でもその例外ではない。さらに今回の作品の舞台が中国王朝ということでその繊細華美を極めている。衣装、カーテンなどには細かな刺繍やビーズが丁寧に施され、部屋の装飾品には金属またはガラスの細工が彩られている。人形が動いてなくとも感動を覚えるほどである。
    コミカルな動き

    他のトルンカ作品では、多くの人形が登場した場合でも人形一つ一つが個別の動きをして重層な世界観を演出していた。これはトルンカ作品の秀逸な部分とされるが、本作品ではそれとは異なり複数の人形が統一された動きをとることがあった。この統一された動きは主に皇帝の家来たちが行っていた。これはトルンカがその滑稽さを強調するためにとった演出だと考えられる。さらにその動きに合わせた動きが加わることで、無邪気な皇帝に振り回される家来たちの滑稽さが一層に増していた。
    平面アニメにはできない表現

    照明を巧みに使うことでトルンカは平面アニメとは一線を画す演出を行っている。

    トルンカの表現方法により自然な影を作り出すことができる。これにより、その舞台の時間帯や天気からキャラクターの心理状態まで表現されている。具体的には本作品で皇帝が鶯を見つけるまでで無邪気だった前半部分では明るい照明、鶯を失って失意にある後半では暗く濃い影が作られていた。さらに暗く濃い影を作りながらも、装飾品や涙には光が反射しており幻想的な状況が演出されていた。自然な光の反射は当時の平面アニメーションではなしえなかったと考えられ、トルンカは人形アニメーションの特性を十分に生かしていたと考えられる。
    以上のようにトルンカは「皇帝の鶯」の中で人形アニメーションの特性を用いて体の弱い少年が想像を通して勇気を持つというストーリーを色鮮やかに演出したのである。

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