当然のことかもしれないが、神話というものにはそれを語り継いできた民族の民族性というものが多分に含まれているように思われる。たとえば、授業で取り扱った創世神話五編の世界創世のくだりをみてみると、まずキリスト教の神話である聖書には、世界は唯一新が「秩序立てて」創ったものであり、神の似姿である人間は「自然を支配」し、自然は道具であるということ、また、唯一神は男性的であり、男(アダム)から女(イヴ)が創られるなど男性優位的な性格が感じられる。これは厳しい自然を克服しようとし、自然に立ち向かってきたヨーロッパ人の気質と、男性主体の歴史や社会を築いてきたという事実が反映されているのだろう。
次に、ヘシオドスの神統記には、「夜が幽冥と情愛の契りして」のように、自然物あるいは現象に神としての性格を付与するとともにそれらをあたかも人のように性別を持ち、子をなすように世界創生が描かれている。また、聖書とは違い、最初の神が女性的性格を持った地母神であったり、世界が落ち着きをみせるまではさまざまな混沌とした状況が現れたりする。
神話にみることのできる民族性
当然のことかもしれないが、神話というものにはそれを語り継いできた民族の民族性というものが多分に含まれているように思われる。たとえば、授業で取り扱った創世神話五編の世界創世のくだりをみてみると、まずキリスト教の神話である聖書には、世界は唯一新が「秩序立てて」創ったものであり、神の似姿である人間は「自然を支配」し、自然は道具であるということ、また、唯一神は男性的であり、男(アダム)から女(イヴ)が創られるなど男性優位的な性格が感じられる。これは厳しい自然を克服しようとし、自然に立ち向かってきたヨーロッパ人の気質と、男性主体の歴史や社会を築いて...