まず宗教の効能について考えてみることにする。宗教は人間を疎外から救うことができるし、また新たな疎外へと人間を導いてしまうことがあると言う。私の個人的経験で恐縮だが、本レポートではカルトにはまる人間を例に挙げようと思う。
以前、私の友人の知り合いに周りからいじめられ、無視さているA君がいた。私の知り合いにも似たような境遇のB君がいた。A君もB君も当然疎外されて孤独であると言えるだろう。そんな中、A君はあるカルト団体に触れ、その教義にいたく感動し、入信することにした。そこにはA君と同じような境遇の人たちが数多くいて、彼を暖かく迎え入れ、彼には仲間ができた。B君はというと、学校を休みがちになっていき、最終的には転校してしまった。同じような境遇のA君とB君でも宗教があるかないかでこれだけの差ができた。これは宗教が人間を疎外から救った例と言えるだろう。ではその後A君が更にカルトにはまったのだがどうなったのか。カルトは往々にして社会から逸脱的で危険なものと認識されている。そのカルト団体が彼の生活のすべてになってしまったら、当人さえ知らないうちに彼は社会という大枠から疎外されてしまう。つまり社会の中で孤立してしまうのだ。私の知る限りではA君は現在、カルト団体の面々と暮らしているらしい。ここではカルトを例に挙げたが、他の宗教についても同様のことが言えるだろう。宗教は人に心の平安という救済をもたらすが、行きすぎると周りとの決別をもたらすのだ。しつこい宗教勧誘も行き過ぎた例の一つである。勧誘している当人は、その宗教によって救われたのかもしれないが、だからといってそれを他人に無理やり勧めるのは単なるエゴであり、勧められる側にしてみれば迷惑に他ならない。宗教は、いわば精神の薬である。適量を摂取すればプラスに働くが、採りすぎるとマイナスに働くのだ。
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宗教社会学Ⅰ 期末レポート
宗教の効能及びその存在意義
まず宗教の効能について考えてみることにする。宗教は人間を疎外から救うことができるし、また新たな疎外へと人間を導いてしまうことがあると言う。私の個人的経験で恐縮だが、本レポートではカルトにはまる人間を例に挙げようと思う。 以前、私の友人の知り合いに周りからいじめられ、無視さているA君がいた。私の知り合いにも似たような境遇のB君がいた。A君もB君も当然疎外されて孤独であると言えるだろう。そんな中、A君はあるカルト団体に触れ、その教義にいたく感動し、入信することにした。そこにはA君と同じような境遇の人たちが数多くいて、彼を暖かく迎え入れ、彼には仲間ができた。B君はというと、学校を休みがちになっていき、最終的には転校してしまった。同じような境遇のA君とB君でも宗教があるかないかでこれだけの差ができた。これは宗教が人間を疎外から救った例と言えるだろう。ではその後A君が更にカルトにはまったのだがどうなったのか。カルトは往々にして社会から逸脱的で危険なものと認識されている。そのカルト団体が彼の生活のすべてになってしまったら、当...