平安時代の文化は「王朝文化」と言われるとおり、朝廷に近い、社会でも上層の、貴族の文化であった。当時の貴族は政治の実務から遠ざかって、贅沢な遊び事の日々を送っていた。そして、その身を飾る衣服には、貴族の信条であった「高貴(あて)」・「雅」にふさわしい布地の品質・色彩が用いられた。また、裏地のある袷仕立ての衣では、表の布地とその大袖の裏にちらりとあらわれる裏の布地との色彩の調和にも心を配った。
この時代の衣服の色彩美は、後世の小袖にみえるような布地上の模様の色によって表わされるのではなく、一枚の衣ではその表・裏の布の重色によって表わされる。また、装束ではそれらの衣色の襲ねによって表わされた。よって、服装にうるさい宮廷に仕える上では、その方面のセンスと「見る目」が必要とされた。それは、宮廷での晴(公け)・褻(平常)の装束から、普段彼らの社交心を満たすための消息用料紙(薄様)の色目の取り扱いまで要求された。
古典文学の中には、しばし「色」につていの記述がある。古くは万葉集の歌に詠まれたりする。また、物語の中では、登場人物の装束や小物の描写において、重要だったりする。
今回私は、「色」と大きな関係のある、貴族社会の装束についてまとめてみようと思う。ただこれが、日本「文学史」に関わるものかどうかという点で自信を持てないでいるが、シラバスの講義計画に「貴族の衣裳」があるので、これを拠りどころとしたい。
○ 貴族と装束
平安時代の文化は「王朝文化」と言われるとおり、朝廷に近い、社会でも上層の、貴族の文化であった。当時の貴族は政治の実務から遠ざかって、贅沢な遊び事の日々を送っていた。そして、その身を飾る衣服には、貴族の信条であった「」・「雅」にふさわしい布地の品質・色彩が用いられた。また、裏地のある袷仕立ての衣では、表の布地とその大袖の裏にちらりとあらわれる裏の布地との色彩の調和にも心を配った。
この時代の衣服の色彩美は、後世の小袖にみえるような布地上の模様の色によって表わされるのではなく、一枚の衣ではその表・裏の布の重色によって表わされる。また、装束ではそれらの衣色の襲ねによって表わされた...