第一次世界大戦の勃発にいたるイギリスの外交政策についてまとめなさい(1600~2000 字)。
第一次世界大戦の勃発にいたるイギリスの外交政策についてまとめなさい(1600~2000 字)
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第一次世界大戦は、サライエボ事件を機に始まった。しかしながら、このサライエボ事件が拡大して第一
次大戦に進展したという解釈はあまりにも短絡的で妥当ではない。つまり、オーストリア=ハンガリーの
外交政策がサライエボでの自国の皇太子暗殺を機に、それまでの平和協調政策から一転、強硬な戦争政策へ
と転じ、それがヨーロッパ大戦の勃発へとつながったという考え方は、実は論証されないのである。ボス
ニア危機におけるその行動にみられるように、オーストリア=ハンガリーの外交政策はサライエボ以前から
すでに、基本的には強硬な現状打破の政策だったからである。第一次・第二次バルカン戦争においても、
オーストリアはコンサート(ヨーロッパ協調)ではなく、単独行動(コンサートの破壊)に自国の大国と
しての存続をかけていた。この意味で、オーストリア=ハンガリーには、開戦の最初のステップを作った
責任を指摘できる。
次に、このバルカンの局地戦争をヨーロッパ大陸の全面戦争へと拡大したのは、ドイツがオーストリア
側に立って参戦...