「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな(行基)」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな(婆羅門)」の贈答歌を解釈せよ。
はじめに
仏教文学とは、日本文学史上に取り上げられ、研究されてきた純文学作品の中に、いかに仏教思想が摂取され、包含されてきたかを研究する立場と、純文学以外のもので、祖師や高僧の書いた、教学上の書や法語、御文章、書簡等で、文学的表現を持ったものの事である。
このことを考えると、本レポート説題に指定されている二首の和歌は、僧が詠んだ和歌であるという点、「霊山」「釈迦」「真如」「迦毘羅衛」「文殊」など、仏教語が多用され、仏教的背景に基づいた文学表現がなされている点などにおいて、かなり特異な贈答歌であり、仏教が和歌に表れた好例であるといえる。
Ⅰ 行基と婆羅門僧正の交流と贈答歌が詠まれた背景
『三宝絵詞』には、行基と婆羅門僧正の交流および、贈答歌が残された背景として、以下のような内容の説話が残されている。
聖武天皇が、東大寺の大仏開眼供養の導師を勤めるように行基に依頼したとき、行基は「婆羅門僧正(菩提僊那)が参列しようとして、来...