私は仏教系の幼稚園に通い、キリスト教系の高校へ進学し、そしてまた仏教系の大学に入学した。それぞれの時代で感じたこと、学んだこと、考えたことはそれぞれあるが、二つを比較することも深く知ろうとすることもなく過ごしてきたように思う。しかしこの本を読んでいて、特にイエスのことに触れた部分で、これも知っている、これも知っている、でもこういう意味だったのかと、新たな発見や解釈を知るたびに、少しでも学んできて良かったなと思えるような読書時間をすごせた。
読み終えての率直な感想として、著者が言いたいこととは大分ずれているかもしれないが、私は釈迦の方が好きだ。好き嫌いで言うのは間違っているかもしれないが、比較の中でそう感じたのだ。
聖書を読んでいても常に感じていたのだが、イエスには最初から人間としての煩悩を感じない。情や哀れみといった感情は普通の人間よりはるかなものを持っているが、不と捉えられるような感情は最初から持ち合わせていないような印象を受けるのだ。しかし、釈迦の場合は違う。皇子という地位も妻子をも捨てて出家した理由が、来世に天界に生まれ、天女を抱くためだという解釈を知ったとき、おかしな話だが、釈迦にとてつもない人間味を感じた。聖人がそんなよこしまな考えで出家したなんて、知らなかった人は少し釈迦を好きになるに違いない。
釈迦とイエスには大きく三つの類似点があるようだ。ひとつは、政治と宗教の別離。もうひとつは、孤独。そして最後は私の意見なのだが、話術の巧みさである。
政治と宗教の別離は、釈迦は数回の選択を迫られたのみで済んでいるようだが、イエスの場合はそうはいかなかった。これは高校時代に再三学んだことである。当時はローマ帝国がユダヤの地を支配しており、イエスは本来の神の子としての救世主という見方よりも、政治的な救世主として人々に見られていたというのが大きい。
釈迦とイエス の感想
私は仏教系の幼稚園に通い、キリスト教系の高校へ進学し、そしてまた仏教系の大学に入学した。それぞれの時代で感じたこと、学んだこと、考えたことはそれぞれあるが、二つを比較することも深く知ろうとすることもなく過ごしてきたように思う。しかしこの本を読んでいて、特にイエスのことに触れた部分で、これも知っている、これも知っている、でもこういう意味だったのかと、新たな発見や解釈を知るたびに、少しでも学んできて良かったなと思えるような読書時間をすごせた。
読み終えての率直な感想として、著者が言いたいこととは大分ずれているかもしれないが、私は釈迦の方が好きだ。好き嫌いで言うのは間違っているかもしれないが、比較の中でそう感じたのだ。
聖書を読んでいても常に感じていたのだが、イエスには最初から人間としての煩悩を感じない。情や哀れみといった感情は普通の人間よりはるかなものを持っているが、不と捉えられるような感情は最初から持ち合わせていないような印象を受けるのだ。しかし、釈迦の場合は違う。皇子という地位も妻子をも捨てて出家した理由が、来世に天界に生まれ、天女を抱くためだという解釈を知...