七夕
夏の風物詩である七夕は、牽牛(けんぎゅう)・織女(しゅくじょ)の七夕物語と、中国伝来の乞巧奠(きつこうてん)の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
一、日本の乞巧奠
万葉集で二星会合や天の河のものがたりを題にした歌が、歌われていることから、万葉集が歌われ始めた時代、つまり舒明天皇の六二九年頃にはすでに、このものがたりは日本に伝来していたと考えられる。しかし、その当時はナヌカノヨとよび、この日をタナバタとよぶのは平安朝に入ってからである。令の規定に「七月七日為節日」とあるので万葉集の頃、この日が宮廷の節日として成立していたことがわかる。
持統天皇の時代には七月七日に七夕物語と日本古来の棚機姫(たなばたつめ)の信仰が融合された、歌を詠む宴があり、聖武天皇の時代には朝廷の儀として相撲も兼ねて行われた。最も古い国史文献の「日本書紀」に持統天皇五年七月七日に宴が催された記述がある。
「続日本書紀」には天平七年七月七日に聖武天皇が文人に七夕の詩をつくらせたことが記載されており、乞巧奠はこの聖武天皇の奈良...