もし自分の子どもが病気になってしまったら…と常にそのことを考えながら他人事ではない気持ちで読んでいました。もし今の私だったらノイローゼになり、自分の時間を欲してしまうと思います。そしてそんな自分を責めると思います。遊びのボランティアさんがお母さんの心と負担をどれだけ軽減させていたのか、お母さんがどれだけ助かっていたのか、この本から伝わりました。また、私が思ったのは病気の子どもの兄弟も同じだけ助けられていると思いました。お母さんはどうしても病のある子どもにかかりっきりになってしまいます。けれど、兄弟だって同じだけお母さんと遊びたいしかまってもらいたいし、その必要があるのです。また、もしお兄ちゃんやお姉ちゃんが病気になってしまい長い入院生活が始まろうとしている時に、お腹に子どもができたら…もしかすると遊びのボランティアさんがいない状態であったら、諦めてしまうかもしれません。遊びのボランティアがどれだけ必要度の高いものなのか、日本は認識が遅れています。
外国の子ども病院を知って驚きました。トロント子ども病院では1200人のボランティアさんが活動しています。また活動を続ける上でも多額のお金が必要になります。しかし、日本ではボランティアという以上時給は発生しませんし交通費も食事も出ません。それが海外では食事代、交通費代支給だったり駐車場代が無料だったりします。こんなにも必要度の高い活動をしているのに気持ち程度のサービスも無くて、税金を無駄なことに使っているならまず、優先順位の高い位置に遊びのボランティアを考えるべきだと思いました。
「病院で子どもが輝いた日」を読んで
まず私はゆっくんの闘病生活をお母さんの計り知れないストレスについて考えました。トイレに行くのでさえも泣かれてしまってはお母さんは、自分の時間を5分たりとも持つことができず、毎日毎日子どもの尽きることのない要求に振り回されています。そんな中で「えっ、もう帰ってきちゃったの」という言葉は出てきても仕方がない事だと思います。むしろ今まで泣き言一つ言わずに乗り越えてきた事が本当にすごいことだと思いました。また、小さい子どもが入院しその子の兄弟が病気になった時などは、本当にどうしたらいいかわからないほど大ピンチになることは、お母さんの生活を読んだ事でとても想像できました。たっくんだって、お兄ちゃんといえどもまだ幼稚園生でまだまだお母さんに甘えたいだろうし、かまってもらいたい年頃なのに、苦しくて人恋しくなる病気の時でさえもお母さんにはかまってもらえず、とてもさびしい想いをしていたと思います。それでも「ゆっくんは薬のせいで頭がツルツルだけど笑わないでね」と友達に注意する心優しいゆっくんのお兄ちゃんでした。幼稚園児にとって...