キューバが社会主義経済体制から市場経済に移行したのは1991年10月の共産党第4回大会がきっかけでした。一年後の1993年から本格的に改革を始め、自営業の承認、国民の外貨所有あるいは使用の解禁、農産物自由市場の再開、00%外資出資の許可、独立採算を目指す国営企業改革など広範囲にわたり、首相のカストロ氏の意図がどこにあったにせよ、そのまま進展すれば市場経済化に向けてキューバを大きく飛躍させる内容を含んでいた。
この一連の改革の結果、輸出一次産品の国際市場の好況にも助けられて、キューバ経済は1995 年頃
から回復基調に入り、2000 年時点のGDPは1989年レベルの8割まで回復した。新たな自営業の象
徴ともいえるパラダール(自営レストラン)は大成功をおさめたし、農業生産においてもサトウキビ、
牛乳、牛肉など自由市場での販売が認められていない農産物の生産高が1995年と2000年の間にほ
とんど増えなかったのに対して、販売が認められた野菜、米、トウモロコシなどの生産高は3倍も
伸びた。外国企業も欧州とカナダの企業がホテル、鉱業、石油精製、セメントなどの分野で2000年
までに374の合弁企業に投資し、投資資金と事業収入の両面でキューバの外貨獲得に貢献した。
またキューバ政府が国民の生活を少しでも向上させるためには、国内貯蓄率を上げ、外資投入を拡大する以外に方法はない。国内貯蓄率を上げるには国民の働く意欲をかきたて、資本蓄積を促す必要がある。
一般的には社会主義国として認識されるキューバであるが、経済的には農産物や鉱物資源の輸出と観光収入に依存する後発発展途上国でもある。このキューバ経済の低開発性は、スペイン植民地時代から独立初期にかけて形成された脆弱な産業構造により規定され、これがソ連・東欧圏からの援助途絶により表面化したことからキューバは厳しい経済危機を経験した。
キューバが社会主義経済体制から市場経済に移行したのは1991年10月の共産党第4回大会がきっかけでした。一年後の1993年から本格的に改革を始め、自営業の承認、国民の外貨所有あるいは使用の解禁、農産物自由市場の再開、00%外資出資の許可、独立採算を目指す国営企業改革な...