沖縄県についての歴史的背景についてはここで述べることを避ける。しかし、一体「本土」のどれだけの「日本人」がその内容・実態を知っているだろうか。北方領土は国も国民も一体となって「返せ」と言えるのに、なぜ沖縄で同様のことができないのか。戦中も戦後も沖縄の存在は「日本」にとって都合のよいものでしかなかった。琉球の時代から続く「日本」による利用は、現在も変わっていない。
「『米―日―琉』という国際関係が存在する、という認識、『米―日』の『援助』で沖縄県民の生活向上が実現していく、という認識、またせいぜい『沖縄』の人はかわいそうだ、という同情の意識、これが、義務教育を終えるまでの青少年に沖縄と沖縄問題についての認識として、教科書であたえられようとしているものである」という状態が指摘されたのが1967年だが、果たして今はどうだろうか。何も変わっていないのではないか。青山学院高等部の英語入試問題などはその典型である。もし終戦直後に「天皇メッセージ」の存在が明らかになっていれば、事態は変わっていたかもしれない。
沖縄に残る本土との温度差
沖縄県についての歴史的背景についてはここで述べることを避ける。しかし、一体「本土」のどれだけの「日本人」がその内容・実態を知っているだろうか。北方領土は国も国民も一体となって「返せ」と言えるのに、なぜ沖縄で同様のことができないのか。戦中も戦後も沖縄の存在は「日本」にとって都合のよいものでしかなかった。琉球の時代から続く「日本」による利用は、現在も変わっていない。
「『米―日―琉』という国際関係が存在する、という認識、『米―日』の『援助』で沖縄県民の生活向上が実現していく、という認識、またせいぜい『沖縄』の人はかわいそうだ、という同情の意識、これが、義務教育を終えるまでの青少年に沖縄と沖縄問題についての認識として、教科書であたえられようとしているものである」という状態が指摘されたのが1967年だが、果たして今はどうだろうか。何も変わっていないのではないか。青山学院高等部の英語入試問題などはその典型である。もし終戦直後に「天皇メッセージ」の存在が明らかになっていれば、事態は変わっていたかもしれない。「日本」の平和教育も最初はヒロシマ・ナガサキが中心であり、オキ...