さきち

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    資料紹介

    資料の原本内容

    社会教育特講IA
    社会学部社会学科3回生
    C088003小西竜幹
    今、子どもたちの安心できる居場所がどこにあるのかが問題視されています。本来は一番、安らげるはずである家庭でさえも子どもたちにとっては、居場所があると言いきれないのが現状です。家庭内でまず、問題とされるのは虐待やネグレクトなどが一般的な例として挙げられます。「虐待」と一言で言っても、その中には子どもに対して暴言を浴びせるなどの精神的虐待であったり、“しつけ”と称して、過度な暴力を与える身体的虐待があります。また、幼少期に虐待を受けた子どもたちが成長し、父親・母親世代となると、わが子にも虐待をするという悪循環が起こってしまうという統計も発表されています。虐待の原因として考えられているのは、いくつかの理由があります。まず1つ目は、今の親たちが“テレビゲーム世代”であり、暴力や暴言などの過激な表現に幼少のころから密接に関係があるということです。2つ目は、今の若者はキレやすいというデータが残されています。キレやすいがために、我慢することが難しく、長い目で見るということができずに、何かあればすぐに子どもたちに手が出てしまうのです。3つ目は、身の周りの交友関係や家庭内の父親がどのくらい子育てに対して積極的であるかが関係しています。育児の悩みや不安は、必ず伴ってくるものです。だからこそ、その悩みや不安を受け止め、解決してくれる存在が豊富であったり、関係が広ければ広いほど、虐待やネグレクトは起こりにくい環境にあるとされています。経済環境が裕福であるということや、両親が揃っているなど上辺でしか存在しないことでなく、虐待やネグレクトが起こらず、子どもたちが父親や母親、周囲の人々からたくさん愛されることこそが、子どもたちにとって本当の安心できる居場所であると思います。虐待についての悪循環の話を例に挙げましたが、子育てにおける良循環の話もあるのです。単純なことかもしれませんが、親がわが子のことを“可愛い”“愛おしい”と思うと、それを原動力に大変な育児も乗り切ることができるのです。今、共働き家庭が増え、保育所の役割が重要視されています。例えば、保育所にわが子を預け、仕事をしている親たちですが、その保育園の先生から子どもについて良いことを言われると親はとても喜びを感じます。普段の生活を共にしていて、“可愛い”“愛おしい”とわが子に対して思っている親でも、子どもの悪い所に普段から目がいってしまうものです。しかし、他人から自分の愛おしい存在について良いことを言われると親にとっては新たな発見であったり、愛情が増すキッカケにもなるのです。愛情が増すことで、親がより一層仕事に励んだり、子育てに尽くす結果になるのです。子どもにとっての環境や居場所は、家庭内だけではなく、地域的な支えも重要な要因の1つなのです。近年、地域的な関わりなどが薄くなっているため、家庭外の公園や空き地で子どもたちがあそぶことが出来なくなっています。殺人や誘拐などが頻繁に起こっている世の中では、常に危険と密接に関わっていて、子どもたちが安心して遊べる場所はほとんどありません。そのためには、やはり周囲が変わっていくしかないのです。
    虐待だけが、子どもたちにとって悪影響であるともいえません。父親・母親の育児・子育ての知識不足も子どもの生活には、とても影響します。1番子どもにとって危険なのは、両親(または片方)の喫煙により、子ども(赤ちゃん)が死亡してしまうSIDS【乳幼児突然死症候群】だと思います。SIDSは先天的・後天的なものなどではなく、健康な乳幼児でさえ、死に至ってしまいます。研究されているのにも関わらず、死亡の原因は不明です。近年の医学技術の進歩により、原因は特定されていませんが、“たばこ”の要因が大きいと言われています。たばこの煙やにおいにより、睡眠中の乳幼児が呼吸停止になり、死亡してしまいます。他にも、うつぶせ寝や室内の温度、布団の柔らかさなども関係しているといわれています。また、たばこは妊娠中・授乳中にも乳幼児にとっては良いものとは言えません。母体が吸わないということだけではなく、受動喫煙のことも考え、配属者・パートナーの協力も欠かせないものなのです。
    人間が成長していく上で、幼少期はとても重要な時期とされています。幼児期は、生涯にわたる“人格形成の基礎”や“生きる力の基礎”といわれている“心情”、“意欲”、“態度”が育つ時期なのです。その幼児期の中で子どもたちは日々様々な経験をし、たくさんのことを吸収していきます。子どもが経験し、学んでいくのは全てあそび中から学んでいくのです。今、家庭内での子どもたちのあそびは、“ゲーム”や“テレビ”など、デジタル化が進んでいます。テレビを例に挙げると、子どもたちの好きな戦闘モノの番組やアニメがあります。子どもたちが好んで見ている番組のほとんどは、《正義が悪者を倒す》というものです。少し言い方を変えれば、子どもたちに《暴力を教えている》のかもしれません。子どもたちの頭の中は、現実と空想が混在しているものなのです。だからこそ、外部からの視覚的な刺激による情報が入ることで、自分自身がそのキャラクターになりきってしまうのです。なりきってしまうことで、「ぼくは正義のヒーローなんだ!」「悪者をやっつける!」という空想的な意識が芽生えてしまいます。他にも、テレビではニュースも絶え間なく流れています。今の世の中は、極悪で卑劣な犯罪が少ないという環境ではありません。「子どもだから難しい内容はわからない…」ではなく、子どもたちは大人以上にとても敏感で、環境も察知できるのです。だからこそ、そのようなニュースに包まれている生活では、子どもたちにとって良いものとはいえません。
    幼少期が大切であると先ほど挙げましたが、子どもたちにとって“経験”こそが学びであり、その過程の中で充実感や満足感、挫折感、葛藤を味わい、精神的にも成長することができるのです。では、幼児期にふさわしい生活の展開とは、どのようなものがあるのでしょうか。まず1つ目には、《信頼関係に支えられた生活》です。子どもは、自分の存在が周囲の大人に認められ、守られているという安心感から生じる安心感が情緒の支えとなって、次第に自分の世界を拡大し、自立した生活へと向かっていきます。同時に子どもは自分自身を守り、受け入れてくれる大人を信頼します。すなわち大人を信頼するという確かな気持ちが子どもの発達を支えているのです。この時期、子どもは自分の世界を拡大していくために、あらゆることに挑戦し、自分でやりたい!という気持ちが強まります。その一方で、信頼する大人に自分の存在を認めてもらいたい、愛されたい、支えられたいという気持ちも持っているのです。生活の中では、子どもは大人を信頼し、その信頼する存在によって受け入れられ、見守られているという安心感を持つことが必要なのです。次に2つ目には、《興味や関心に基づいた直接的な体験が得られる生活》です。子どもの生活の大半は、興味や関心に基づいた自発的な活動からなっています。この興味や関心から発した直接的で具体的な体験は、子どもが発達する上で豊かな栄養となり、子どもはそこから自分の生きる世界や環境について多くのことを学び、様々な力を獲得していきます。興味や関心から発した活動を十分行うことは、子どもに充実感や満足感を与え、それらが興味や関心をさらに高めていきます。それゆえに、子どもが主体的に環境と関わり、十分に活動し、充実感や満足感を味わうことができるようにすることが大切です。3つ目には、《友だちと十分に関わって展開する生活》です。幼児期には、子どもは自分以外の存在に気付き、友だちと遊びたいという気持ちが高まり、友だちとの関わりが盛んになります。相互に関わることを通して、子どもは自己の肯定感を確認し、自己と他者の違いに気付き、他者への思いやりを深め、集団への参加意識を高め、自立性を身につけていきます。このように、幼児期には社会性が著しく発達していく時期であり、友だちとの関わりの中で、子どもは相互に刺激し合い、様々なものや事柄に対する興味や関心を深め、それらに関わる意欲を高めていくのです。
     幼児期における生活の展開の仕方だけではなく、大人の子どもに対する理解や育児知識の不十分さも問題になってきます。育児においては、周囲からの実際の経験による話や育児書からの知識がありますが、あくまでもその内容は平均とされているものだということを頭に置かなければなりません。人にはそれぞれ“個人差”というものがあり、子どもは個々によって個人差がとても大きいのです。「なんで自分の子だけ」と焦る気持ちを持ってしまいがちですが、「個人差がある」ということを頭に置くだけでも、負担としてはかなりの差が出てきます。親のそのような考え方や努力次第で、子どもたちの居場所やその居場所での居心地の良さが変わってくると感じました。
    参考文献:子どもの社会的養護  著者 望月 彰

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