医療の発達とその弊害

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    資料紹介

    我々、人間は生きるうえにおいて、「正しく生きたい、幸せに生きたい」という願望を持っているであろう。この事は、「すべてのものがもっとも欲求するものは、最高善である」という大前提(1)をもとにして、快楽の追求と苦痛の回避によって、その最高善を求めるといった、ベンサムの快楽主義からも分かる。そして、現代では色々なものの発展などに伴って、昔と比べて、長生きをすることが出来るようになった。確かに、人間にとって、他の人よりも長く生きるということは幸せなことであろう。しかし、本当にただ長く生きることだけ(例えば、生命維持装置を付けた延命治療)が幸せといえるのであろうか。

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    Ⅰ はじめに
    我々、人間は生きるうえにおいて、「正しく生きたい、幸せに生きたい」という願望を持っているであろう。この事は、「すべてのものがもっとも欲求するものは、最高善である」という大前提(1)をもとにして、快楽の追求と苦痛の回避によって、その最高善を求めるといった、ベンサムの快楽主義からも分かる。そして、現代では色々なものの発展などに伴って、昔と比べて、長生きをすることが出来るようになった。確かに、人間にとって、他の人よりも長く生きるということは幸せなことであろう。しかし、本当にただ長く生きることだけ(例えば、生命維持装置を付けた延命治療)が幸せといえるのであろうか。
    Ⅱ 現代の医療
    数十年前まで、「死ぬ」ということは飲み食べられなくなる、呼吸が出来なくなるというこの二つの条件が成立することであった。しかし、科学技術や医療技術の発達に伴って脳死臓器移植、生殖補助技術といった高度な治療を受けることが出来るようになった。それらの事は今まで、不治の病とされていた病気を直すことが出来るようになったことを見ても、人々に計り知れない恩恵をもたらしたであろう。しかし、医療というものは何百年という時...

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