政党政治と自由民権運動についてです
初期議会から日清戦争後にかけての政党について
1888(明治21年)から約10年間にわたる政党の変遷について、各政党別にまとめる。
1.板垣退助と自由党
自由民権運動の祖と呼ばれる板垣退助は、1874年(明治7年)に日本史上初となる政党、愛国公党を後藤象二郎、江藤新平らと結成する。さらに彼の地元である高知県に立志社を設立。地方から全国へと自由民権運動を広めていった。1880年(明治13年)には国会期成同盟を結成し、政府に10年後に国会を開設することを約束した「国会開設の勅諭」を出させた。翌年に自由党を結党し、自ら党首となった。しかし、初代自由党はうまく機能せず1884年(明治17年)に解党する。
帝国議会の開設が近づくにつれ、後藤象二郎はじめ、解党した旧自由党員が新しい政治結社の結成を呼びかけるもの、また自由党の再結党を呼びかけるものも表れ、大隈重信が結党した立憲改進党も加わり、大同団結運動と呼ばれる統一運動が起きたが、板垣退助はこの運動には参加せず静観していた。1890年(明治23年)に帝国議会が開催された際、自由民権派の民党と政府の対立が激しくなり、河野広中擁する大同倶楽部と大...