【合格済み】東京大学大学院学際情報学府入試
H21第四問技術とメディア
テウトは技術を役に立つものであると自明に信じており、文字という技術を用いることにより人間の知的活動が活性化するであろうという信念を持っている。一方タモスは必ずしもそうではなく、害をなすこともあるという立場を取っている。またテウトは技術の効用は技術それ自体の要素が決めるという技術決定論的立場を取るがタモスは別の要素が決めると述べている。
記憶について、テウトはそれを記録、あるいは情報と同じ意味として用いているが、タモスはより狭い範囲で、情報を日常の文脈の中で身体化することのみを記憶と呼んでいる。それ以外の情報は身体の外側にあるものとして参照され、このプロセスを想起と述べている。
文字というメディアの誕生により我々は口承的な方法の拘束を離れ、より抽象的で論理的な思考力を手に入れたとハーバマスらはメディアの歴史的解釈の中で述べている。これと同様に、あるいはより大きな変化を情報技術により生み出された新たなメディアが起こしたとも考えられている。このように形成された情報化社会の中で生きていくための力を情報リテラシーと呼び、この考えの根本にも文中のテウトとタモスの表す問題を認めることができる。情報リテラシーもテウトと同様に、メディア技術や情報伝達技術は人間の知的活動をより高めるものであるということを大前提としている。技術は善であり、必ず役に立つというイデオロギーを含んでいると言える。
またテウトの技術決定論的な主張と同様に、メディアのあり方は技術が決めるという考え方も根強い。これをテクノメディア論と言う。これに対してタモスの技術に対する主張と同じように、メディアのあり方は技術だけでなく、それを受け取る人々や様々な社会の要素がダイナミックな相互関係を結ぶ中より生み出されるものであると水越らは主張する。これをソシオメディア論と呼び、多くの要素が有機的な連関を持ちながら作りだすビオトープにたとえてメディアビオトープという語で示されている。
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かなりあやふやなので間違ってたらご一報を!