『司馬遷が史記を著述するにあたっての、その現実的問題について』
司馬遷のしるした『史記』が、後世の『漢書』、『後漢書』などと決定的に異なっているのは、まずそれが一王朝史ではなく、五帝より以後、夏、殷、周、秦、漢と六時代二千数百年におよぶ通史となったことである。『漢書』ならば、そこに描かれるのは前漢一代二百三十年にすぎない。
中華において通史というものは、司馬遷まで存在しなかった。さらに言えば、紀伝体というものを新たに始めたのも、この『史記』である。中国では史書の叙述形式には編年体、紀伝体、記事本末体の三つがあるが、それまで普遍的であったのは編年体で、『史記』以後、清朝の乾隆帝が定めることとなる正史二十四史は、全て紀伝体で書かれることとなった。
中華の歴代王朝においては、打倒した前王朝の史書が連綿と編纂されてきた。「しかし司馬遷は、確かに武帝の特別な計らいを受けてはいたようだが、勅命を受けた形跡はない。また勅命によってそれを監修した人物も、またそのような協力者も見つかっていない」(『史記と司馬遷』伊藤徳男)。
つまり『史記』は、司馬談、遷父子による個人の著作ということになる。武帝が特別...