タイトル通りです。本文中の資料とは久志芙沙子による謝罪文や関連する雑誌の切り抜きです。また、後半部分は島崎藤村の『破戒』批評となっており、お得な文学レポートです。
1.
『さまよへる琉球人』と『滅びゆく琉球女の手記』比較
本稿では、まず講義で配布された『さまよへる琉球人』に関する資料についてその趣旨
を述べ、次に『滅びゆく琉球女の手記』について同様に行ったうえで、それぞれを比較・
分析していくこととする。
(1)『さまよへる琉球人』について
まず資料のうち、抜粋された本文から得られる率直な感想を述べると、琉球人に関して
細かい観察を伴いながらも若干悲観的で、かつ物語中の H 氏の視線からみれば批判的に描
かれてあることに気付く。また、琉球人のもつ独特な名前や性格、雰囲気などの描写から
は、琉球人の野蛮さとそれに相対する人懐っこさがみられ、いわゆる本土出身の人とは区
別し、際立たせてあるようにみられる。見返と H 氏の対話からは、本題ともなっている「さ
まよえる琉球人」の主体性を読者に問う働きもみられ、読者にとっては、琉球人の哀感漂
う自己認識を感じられる場面でもある。金城朝永による『琉球に取材した文学(1946)』では、
この広津和郎の『さまよへる琉球人』によって巻き起こされた筆禍事件についても述べら
れており、さらに沖縄県青年同盟抗議文と広津和...