1.要約
これは、ドイツの1920・30年代を、歴史的現代と我々の生きているこの現代とに縦にかかわらせることによって、ナチズムの特徴を浮かび上がらせようという試みである。
ナチズムが登場したのは、1920年春、世界的な規模での覇権戦争の始まりの時代である。国民主義と社会主義が融合し得たのも、この戦争によってだった。その産物である国民社会主義(ナチズム)の多義性は、逆に多くの人々を引きつけることになる。
当時のドイツでは、戦争の影響により、人口の増加と出生率の低下が問題にされ、女性の社会進出が進んでいた。世代間の断絶も大きく、人々は社会的不安を感じていた。また、領土回復の必要性を国民みなが感じていた。この「領土回復」には、複数の構想があったが、人々は反ヴェルサイユ条約という点で一致してナチスに協力する。他国から土地を奪うことになる新たな領土獲得という構想も当然のように受け入れられたのには、当時の科学主義と結びついて広まった人種主義の思想があった。
ナチ党は当時の様々な複雑な社会問題を解決し、混乱する価値観に不安を感ずる人々に分かりやすい説明をするため、反ユダヤ主義を持ち出した。そのナチスの運動の特徴に、問題に対して一人の人物に全権を与えて処理することと、宣伝集会やパレードによって人々を惹きつけるというスタイルがある。後者によって個別利害の壁を破り体制そのものを革新するというイメージを人々に与えることに成功する。選挙民がナチ党を選んだのは、反ユダヤ主義からではなく、国際状況の変化による個別利害の代弁者の役割を果たす政党政治への行き詰まりを感じたためであった。
1933年首相に任命されたヒトラーは、保守党を中心とする連立内閣で半年も経たないうちに一党独裁体制をつくりあげる。
山本秀行『ナチズムの時代』(山川出版、1998)
1.要約
これは、ドイツの1920・30年代を、歴史的現代と我々の生きているこの現代とに縦にかかわらせることによって、ナチズムの特徴を浮かび上がらせようという試みである。
ナチズムが登場したのは、1920年春、世界的な規模での覇権戦争の始まりの時代である。国民主義と社会主義が融合し得たのも、この戦争によってだった。その産物である国民社会主義(ナチズム)の多義性は、逆に多くの人々を引きつけることになる。
当時のドイツでは、戦争の影響により、人口の増加と出生率の低下が問題にされ、女性の社会進出が進んでいた。世代間の断絶も大きく、人々は社会的不安を感じていた。また、領土回復の必要性を国民みなが感じていた。この「領土回復」には、複数の構想があったが、人々は反ヴェルサイユ条約という点で一致してナチスに協力する。他国から土地を奪うことになる新たな領土獲得という構想も当然のように受け入れられたのには、当時の科学主義と結びついて広まった人種主義の思想があった。
ナチ党は当時の様々な複雑な社会問題を解決し、混乱する価値観に不安を感ずる人々に分かりやすい説...