湾岸戦争
一九九〇年八月二日イラクがクウェートに侵攻したことで引き起こされたペルシャ湾岸をめぐる政治・軍事の緊張状況が湾岸危機である。アメリカをはじめとする西側世界は、世界でも有数の産油国である隣国クウェートを侵攻・占領したイラクのサダム・フセイン政権のねらいが、世界石油市場支配にあるとみて激しく反発。ブッシュ・アメリカ政権はイラクにクウェートからの即時撤退を求める国連安全保障理事会決議採択をとりつける一方で、クウェートを武力解放するため西欧諸国およびエジプトなどアラブ内の反イラク諸国と大規模な多国籍軍を結成した。多国籍軍は九一年一月一七日イラク空爆を開始して湾岸戦争が勃発した。多国籍軍は二月二四日地上戦に突入、二六日クウェートを解放。戦闘は二八日に終わった。日本も多国籍軍への「国際貢献」を迫られ、自衛隊派遣を拒否する一方で、総額一三〇億ドルを支援した。
湾岸戦争とジャーナリズム
湾岸戦争
一九九〇年八月二日イラクがクウェートに侵攻したことで引き起こされたペルシャ湾岸をめぐる政治・軍事の緊張状況が湾岸危機である。アメリカをはじめとする西側世界は、世界でも有数の産油国である隣国クウェートを侵攻・占領したイラクのサダム・フセイン政権のねらいが、世界石油市場支配にあるとみて激しく反発。ブッシュ・アメリカ政権はイラクにクウェートからの即時撤退を求める国連安全保障理事会決議採択をとりつける一方で、クウェートを武力解放するため西欧諸国およびエジプトなどアラブ内の反イラク諸国と大規模な多国籍軍を結成した。多国籍軍は九一年一月一七日イラク空爆を開始して湾岸戦争...