ヨーロッパがひとつの単位として地域的にまとまろうとする思想や運動は、今日のEUが最初の事例ではない。第一次世界大戦が終わろうとする1918年、ドイツの哲学者、オズヴァルト・シュペングラーは「西洋の没落」を著し、世界史の中におけるヨーロッパ文化の衰退を予言した。
シュペングラーの警告の触発され、第一次世界大戦後の疲弊したヨーロッパを復興させようと、その具体策を提唱する人物が現れた。オーストリアのクーデンホーフ・カーレギー伯はヨーロッパを統合することが再興への道であると訴えた。カーレギーがヨーロッパを統合すべきだと考えた背景には、三つの理由がある。第一には、統合によってドイツとフランスの犬猿の仲を和解させる効果があること。第二には、ヨーロッパが団結することにより、革命ロシアの波がヨーロッパに及ぶことが防げること。第三には、共同市場を構成することによって、経済面での国際競争力が高められる、というのであった。しかし、第二次世界大戦という悲劇によって、その統合への道は閉ざされてしまった。
第二次世界大戦後の1952年になると、ヨーロッパ大陸の二大勢力であるフランスと西ドイツが中核になって、市場とは別の経済分野における統合がはかられていく。すなわち、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグをメンバーとする「欧州石油・鉄鋼共同体」(以下、ECSCとする)が創設された。この「共同体」を生み出す上で大きな役割を演じたのが」フランスの外務大臣、ロベール・シューマンであった。
ドイツとEUの関係を巡って
ヨーロッパがひとつの単位として地域的にまとまろうとする思想や運動は、今日のEUが最初の事例ではない。第一次世界大戦が終わろうとする1918年、ドイツの哲学者、オズヴァルト・シュペングラーは「西洋の没落」を著し、世界史の中におけるヨーロッパ文化の衰退を予言した。
シュペングラーの警告の触発され、第一次世界大戦後の疲弊したヨーロッパを復興させようと、その具体策を提唱する人物が現れた。オーストリアのクーデンホーフ・カーレギー伯はヨーロッパを統合することが再興への道であると訴えた。カーレギーがヨーロッパを統合すべきだと考えた背景には、三つの理由がある。第一には、統合によってドイツとフランスの犬猿の仲を和解させる効果があること。第二には、ヨーロッパが団結することにより、革命ロシアの波がヨーロッパに及ぶことが防げること。第三には、共同市場を構成することによって、経済面での国際競争力が高められる、というのであった。しかし、第二次世界大戦という悲劇によって、その統合への道は閉ざされてしまった。
第二次世界大戦後の1952年になると、ヨーロッパ大陸の二大勢力であるフランスと西...