谷崎潤一郎「春琴抄」感想文

閲覧数7,019
ダウンロード数8
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    タグ

    子ども社会障害者芸術人間障害言葉小説世界精神感想文

    代表キーワード

    社会

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    谷崎潤一郎「春琴抄」 感想文
     「美しい」という言葉の定義とは一体何だろうか?目鼻立ちの整った人のことを美しいというとは限らない。口元のほくろは色っぽい「美しい」であるし、一重まぶた、二重まぶた、そのどちらにもそれぞれの「美しい」が存在するというものだ。

     佐助は、失明後に春琴の三味線の妙音を味到したといっている。これは美しさが、単に着飾ることだけでなく、何かを失うことによっても得られるということを示しているのではないだろうか。実際に視覚障害者は視覚を持たぬ分、嗅覚や聴覚が異常なほど発達することがあると聞く。また、ある道においての天才は他の分野においては全く無能であるなど、不完全なものが持つ才能は一層輝きを増して見える。障害者がまだまだ社会から距離を置かれた存在である今日、正直、違う世界で生きているような錯覚さえ起こしかねない。だからこそ、何かを失った美しさを私たちは見落としがちなのではないか。

    佐助が反抗しようと思えばいくらでも反抗できる盲人春琴に対し、ここまで傾倒し、忠誠をつくした理由は単に佐助のマゾヒズム的な性分だけではなかろう。不完全なるものの美に、何かあらがえない魔力のよ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。