大正から昭和前期に掛けては、日本が1914年日英同盟に基づく第1位次世界大戦参戦、1931年の満州事変、1941年からの太平洋戦争の当事者になっていた。
その間に、戦争画が製作されたが、写真技術がある程度発達していたこの時期に絵画による表現方法が必要であったのか疑問である。
戦争画の殆どは、軍部等からの依頼で製作されたとの事であるから、そこに製作の意図が感じられる。
その意図は、戦争画をいらした軍部による国民の戦意高揚にあったのだろう。
確かに、絵画は写真の被写体とは違い、情景の全てを固定させるとは限らない。絵画は、画家の感性による表現であるから、同一の情景であっても、何を表現するのかという意図によって絵に表わされ、見た者の印象はそれぞれであったとしても、作者の意図を大きく外れることはないと考えられる。そういった意味から、軍部や政府によって表現意図が操作された絵は、戦意高揚という意図の下に製作されれば、見るものにそういった影響を与えることになる。
ただ、戦争画家の中には、花岡萬舟のように軍部から正式に依頼された従軍画家ではない者もいたが、「戦争画の相貌-花岡萬舟連作-」の中の画《無錫入...