大森貝塚
「概要・・・大森貝塚は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期から末期の貝塚。アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、1877年(明治10年)6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてからすぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った。1955年(昭和30年)3月24日には、国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年(昭和50年)に全て国の重要文化財に指定されている。
時代背景・・・縄文時代後期は寒冷化に伴う環境の変化により、木の実、動物などの食料が減少した時代である。さらに東京、神奈川一帯では箱根山の噴火や富士山の噴火が長期化したため食料の確保が難しくなり、それに伴い急激な人口減少が起きている。そのため東京、神奈川では縄文時代晩期の遺跡はほとんど見当たらない。その際、寒冷化に伴う食料資源の減少が少ない海産物を中心に食料の確保をしたため、この貝塚ができたとされる」ウィキペディアより抜粋
1951年文化財保護委員会告示第二号として定められ、のちに文部省告示で改定されてきた「国宝及び重要文化財指定基準並びに特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物指定基準」によると、貝塚で、我が国の歴史の正しい理解のために欠くことができず、かつ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術的価値があるものだと判断されれば史跡と認定される。大森貝塚は日本考古学発祥の地と呼ばれ、(「縄文」という言葉はモースがここで発見した土器に由来する)当然史跡に認定されことになった。
大森貝塚は現在品川区に、庭園という形で保存されている。縄文時代をかたどった庭園で、貝塚が発見された当時の模型もあり、縄文時代を体験でいるイベントが行われることもある。また隣接する品川歴史館には大森貝塚に関するコーナーが常設されている。
貝塚という史跡をいかに保存するかは難しい。なぜならば、発掘対象が古く、建造物等が残されているわけでもないからだ。しかし現在の大森貝塚の保存状態は、非常に良いと思う。なぜならば、庭園という形をとり、定期的に体験イベントを行なうことで、子供から大人まで、さまざまな人が訪れ、大森貝塚に対する認識が半永久的に継承されていくし、更に隣接する歴史館でさらに詳しく知ることができる。しかも、大森駅やその周辺にはモースの銅像や、記念碑や縄文時代をかたどったトンネルや公園があり、地域単位で貝塚の保存に貢献しているといえる。僕自身も子供の頃に大森貝塚でよく遊んだし、歴史館にも何度か訪れ、大森貝塚の知識を自然に持つようになった。
実は、貝塚の発掘跡や、本物の出土品等は残されていない。(現在は東京大学に保管されている。)しかし、史跡の保存の意義とはその歴史的事実の認識こそであると僕は考える。
総論
大森貝塚の考察を通して感じたことは史跡とその地域のつながりの重要性である。どんな遺跡であれ、その所有者や、地域の人が保護する意義を認めなくては、保護はできない。大森貝塚は重要な考古学上、重要な遺跡であるから良い環境で保存されているが、近代遺跡等、まだ保存すること自体に課題があるものもある。ですから、研究者・学者に限らず、僕ら一人一人が身近な遺跡に関心を持ち、その意義を主張していくことが大切だ。
また遺跡をただ、残す、のではなく、その歴史的背景や保護対象となった重要性を伝えられるように保存することも重要だと感じた。
参考文献及びURL
http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/omori.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%B2%9D%E5%A1%9A
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/midokoro/kaizuka/kaizuka.html
史跡で読む日本の歴史10 鈴木敦編集 吉川弘文館