『報道被害』を読んで
私たちの現在の日常生活において、報道というものが極めて身近な存在であり、大きな影響力を有するに至っていることは否定できないだろう。報道されるものは、政治や選挙、事件物、そして芸能ネタなど、一般市民の関心を引きつける話題である。しかし現在その報道倫理は低下しているといえる。何か事故や事件が起きる度に、著名人や公人、またはその現場に取材陣が殺到し、時には罵倒とも受け取れるような質問やシャッターの光を浴びせインタビューを取ろうとする。被疑者は私生活や経歴を暴かれた上、無罪有罪に関わらず世間から激しい攻撃を受ける。インターホンと電話が鳴り止まず、悲しみの渦中にいる被害者の家族にでさえも容赦のない質問が浴びせられる。その取材現場を毎日のようにブラウン管から見つめる私達一般市民が、インタビューを取られている側を同情の目で見ることがあるのは、数で圧倒されているため、まるで「弱いもの」いじめしているような印象を、メディア側に見てしまうことにもあるだろう。しかし、メディアというものは、「知る権利」という民主主義国家は維持していく上でなくてはならない重要な権利を守るという大儀がある...