満州移民~飯田下伊那からのメッセージ~を読んで

閲覧数2,013
ダウンロード数4
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    長野県の飯田下伊那とは、1940年代前半当時日本が中国東北地方に建国した「満州」へ全国で最大級の移民を送り出した地域である。飯田下伊那は生糸を通してアメリカ経済…

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    満州移民~飯田下伊那からのメッセージ~を読んで
    はじめに
    感想を書くにあたり課題図書を3つの部分に分けて以下で感想を述べる。
    1つ目は日本政府が満州移民政策を推進するにあたり地方をどのように誘導したかの部分(課題図書
    での第1章)
    2つ目は満州移民の現地での生活の部分(課題図書での第2.3章)
    3つ目は終戦後の満州移民についての部分(課題図書での第4章)である。
    満州移民政策に対する考察
    長野県の飯田下伊那とは、1940年代前半当時日本が中国東北地方に建国した「満州」へ全国で最大級の移民を送り出した地域である。飯田下伊那は生糸を通してアメリカ経済に結びつき、1920年代のアメリカの好況と女性のファッションの変化を通じてアメリカ経済と深く関係することとなる。そのため1929年の世界恐慌は、この地域に大きな衝撃を与えた。恐慌によって下層の農民は大きな打撃を受け、一方、地主は所有地を拡大した。その間に位置する中農層は没落の危機に直面し、激しく動揺した。地域的には、養蚕に生計の多くをゆだねることころにおいてとくに打撃は大きかった。そのため、経済更生運動の分村計画指定村になることによって与えられ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。