日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南(現韓国)、ソ連が北(現北朝鮮)にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし、韓国とは、アメリカとの外交や1952年から13年間の日韓国交正常化交渉(請求権の放棄や経済協力など)により、国交正常化が実現した。1998年の金大中大統領の訪問中、小渕首相が過去の謝罪をしたことを金大中大統領は高く評価し、友好関係の未来的志向関係の発展を述べ「日韓共同宣言」が調印された。これにより、2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催や映画、テレビなどの文化的交流も盛んになった。今年国交正常化40周年を迎えるが、日本の教科書問題や首相の靖国神社参拝ではまだ政治的対立することもある。
次に北朝鮮についてだが、1990年代始めからアメリカ、日本ともに国交正常化交渉が行われているが、外交的関係樹立は難しい。朝鮮自身、核問題や金正日体制による閉鎖的な外交が正確な情報を表に出さないことも原因である。2002年、日韓両首脳が国交正常化交渉の再開を柱とする「日朝平壌宣言」に署名し、2002年10月、国交正常化交渉を再開によって5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国した。
現代日本のアジア外交
日本のアジア外交について
日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南(現韓国)、ソ連が北(現北朝鮮)にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし、韓国とは、アメリカとの外交や1952年から13年間の日韓国交正常化交渉(請求権の放棄や経済協力など)により、国交正常化が実現した。1998年の金大中大統領の訪問中、小渕首相が過去の謝罪をしたことを金大中大統領は高く評価し、友好関係の未来的志向関係の発展を述べ「日韓共同宣言」が調印された。これにより、2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催や映画、テレビなどの文化的交流も盛んになった。今年国交正常化40周年を迎えるが、日本の教科書問題や首相の靖国神社参拝ではまだ政治的対立することもある。
次に北朝鮮についてだが、1990年代始めからアメリカ、日本ともに国交正常化交渉が行われているが、外交的関係樹立は難しい。朝鮮自身、核問題や金正日体制による閉鎖的な外交が正確な情報を表に出さないことも原因である。200...