佛教大学、S0107教育行政学第2設題

閲覧数2,244
ダウンロード数4
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    最新平成23年度版A判定

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    教育委員会制度について、戦後地方教育行政改革の原則をふまえて論じなさい。
     わが国は、1945年8月15日の第二次世界大戦終戦によって、連合国に対して無条件降伏をした。天皇を基本としつつ国民を統合させるいわゆる「国体護持」という条件をつけようとしていた日本政府に対して、連合国側は全ての決定権は連合国最高司令官に属することを意図する回答を日本側に示した。このような中、1946年3月5日に、「第一次米国教育使節団」が来日し、戦前の国家主義的・統制主義的な教育制度のあり方を改めて、もっと自由な、民主的なものにするよう、日本の教育改革を行い始めた。戦後における教育行政の重要課題は、中央集権的であった教育行政を地方分権化することにあった。その一環として、1948(昭和23年)年7月15日に「教育委員会法」が制定され、「公選制」の教育委員会が設置され、アメリカから導入された形となった。
    地方における教育行政を行う組織には教育委員会と首長部局がある。このうち、教育委員会には教育委員会の会議、教育委員会事務局などがおかれ、地方教育行政の中心組織である。そして、生涯学習、教育、文化、スポーツ等の幅広い施...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。