リルケの考え方は、分からないでもないけれど、納得することができない、というのが本音である。
開かれた世界が真実の世界である。所有というあり方における生が時間にとらわれた生であり、この所有にとらわれた生、日常的生の放棄によって第二の生が始まる。そして、第二の生は時間を超えた生であり、この生に生きる世界が開かれた世界である。生と死の区別はない世界で、主客合一の世界である。
リルケの思想を私なりにまとめるとこのようになる。ここで、本当にこのような世界があるのかという疑問が浮かぶ。『体験』にリルケ自身が開かれた世界を体験したのだから、実際にあるのかもしれない。ただ、私自身、この考え方を受け入れられるかというと、そうでもない。確かに所有にとらわれていると、所有したいという欲求と所有しているものをなくしたくないという気持ちが出てくる。これが、他を傷付けてまで所有したいというのであれば問題であるが、そうであれば、それが人間らしくてよいのではないかと思う。
リルケは所有なき愛、対象なき愛についても言及している。対象のある愛は、対象から期待するものがある愛であり、対象に依存する愛であり、所有する愛である。愛されることを求める愛は所有するあり方の上に成り立つ愛である。
基礎人間学特殊講義
2005/08/12
所有なき愛は本当の愛か
はじめに
リルケの考え方は、分からないでもないけれど、納得することができない、というのが本音である。
開かれた世界が真実の世界である。所有というあり方における生が時間にとらわれた生であり、この所有にとらわれた生、日常的生の放棄によって第二の生が始まる。そして、第二の生は時間を超えた生であり、この生に生きる世界が開かれた世界である。生と死の区別はない世界で、主客合一の世界である。
リルケの思想を私なりにまとめるとこのようになる。ここで、本当にこのような世界があるのかという疑問が浮かぶ。『体験』にリルケ自身が開かれた世界を体験したのだから、実際にあるのかもしれない。ただ、私自身、この考え方を受け入れられるかというと、そうでもない。確かに所有にとらわれていると、所有したいという欲求と所有しているものをなくしたくないという気持ちが出てくる。これが、他を傷付けてまで所有したいというのであれば問題であるが、そうであれば、それが人間らしくてよいのではないかと思う。
所有なき愛・対象なき愛
リルケは所有なき愛、対象なき愛について...