ジャーナリズムに「公共」概念が求めるもの
1.リアリティ形成の追求
前章で、「公共」概念は時空間を越えるということを述べたが、では「公共」とは一体何だろうか?倫理学では相対主義的(社会内在的)倫理と絶対主義的(普遍主義的)倫理という言葉があるが、「公共」というのは時空間を越える「絶対主義的」なものである。しかし、「公共」とは何か?という問いに対して具体的な答えを明確に表現することは難しい。
矢野は、法と倫理を対比する際に、法を「国民の合意」とするのに対し、倫理を「公共に対する信頼」と述べた(矢野・林2008)。これはモーリス-スズキの「絶対なるリアリティに対する信頼」という言葉と並行的に考えることができるのではないだろうか。モーリス-スズキは“捏造”の概念を「絶対なるリアリティへの信頼」と裏腹のものとし、絵画やことばによる描写が“捏造”の謗りを受けることがない一方で写真にはそれがあるのは、カメラは何ものにも介在されないリアリティを写すはずだという暗黙の前提があるからだとする(モーリス‐スズキ2004:95)。そして、そのリアリティによって、私たち見る側は対象との共感と一体化を喚起さ...