プラトンのイデア論について、簡単にまとめた後、『パイドン』を引用しながら、イデア論の考え方について考察する。言語という観点からイデア論を考え、イデアは初めからあるものではなく、言語によって作られたものだという、私の考えを述べる。
プラトンのイデア論と言語
はじめに
「パイドン」を読むと、そこで行われている議論は、一種の言葉遊びのようなものが感じられる。ソクラテスの対話相手も、一つ一つのソクラテスの問いかけには肯定せざるを得ないのだが、結局、心から納得していないように思われる。
その原因は、言語の使い方にあるのではないだろうかと、私は考えた。そこで、言語という観点から、イデア論について考察してみたい。
1、イデア論とは
まず、イデア論について、『哲学マップ』(※1)の記述をもとに、簡単にまとめておきたい。以下は『哲学マップ』29-32頁の要約である。
プラトンは、「~とは何か」の答えを、「~のイデア」とした。
「~のイデア」は、全ての「~」に共通するものである。よって、「いつでも、どこでも、誰にでも当てはまるもの」となる。それは、〈普遍的なもの〉と言い換えることも可能である。したがって、イデアは永遠に変化せず、同じものとしてとどまる。
イデアは、現実のものとは対立する。なぜなら、現実のものは、変化し、消えるからである。
イデアは、生成消滅するものから成る現実世界には見出せない。イデアは...