絵本が展開していく意外性と躍動性に魅了され、『三びきのやぎのがらがらどん』に限らず、私は与えられた物語を繰り返し繰り返し読み続けた。それはまさしく私の感情表現を豊かなものにした。美的感覚のような情操的な側面の発達や、知的好奇心も促された。同じ絵本でも、感じ方・捉え方が読む人間にとって大きく違い、他人との意見や想いを言葉にして、交換しながら、読み手と聞き手同士で心の交流をはかっていく。父親の読み聞かせてくれたものと母親のそれとでは、フィーリングが全然違った。選ぶ際もなにより、幼いときの弱虫で怖がりなわたしの興味が、絶対に『三びきのやぎのがらがらどん』に目を向けなかったと思う。この絵本を選んでくれた母にとても感謝している。この感情は、この学習を通して得たものだ。子どもの人格の広い側面に渡って偏りのある人格にならないよう、試行錯誤して育ててくれた。この絵本もその証のひとつ。大きくなって、こういう児童文芸を客観的に捉え、あらためて鑑賞すると、涙が出そうなくらい、感動を覚える。それは連続性の自分勝手なTVとは違う。こんな感覚を覚えることができるのも、ファンタジーに助けられてきたところだと思う。10年後の私が、子どもに読み聞かせる絵本は、大切に選んでいこうと、こころに決めました。
『三びきのやぎのがらがらどん』
力強い繰り返しの問答と、思いもかけぬやぎの逆転大勝利で終わる絵本だ。私は、はらはらどきどきしながら、この本を読んでもらっていた。
「かた こと」「がた ごと」「がたん、ごとん」大きな危険がせまっているのに、やぎたちは悠然と、むしろ楽しげに橋を渡っていく。1番目のやぎは「かた こと」、2番目のやぎは「がた ごと」、そして3番目のやぎは「がたん、ごとん」。やぎが大きくなるにつれて橋を渡る音も徐々に大きくなり、私の気持ちも来たるべき「おおきいやぎのがらがらどん」とトロルとの対決に向かって、どんどん盛り上がっていく。力強くパステルを走らせた絵がまた、物語をドラマチックに彩る。モンスターのトロルも、なかなか存在感のある敵相手。いわゆる西洋の鬼だが、広くはムーミンも仲間に入らないだろうか。古今東西、力は強いけど頭は弱いと、鬼の相場は決まっているようだが、弱いチビと真ん中の山羊を逃がす余裕や、見事なやられっぷりなど、味のある悪役を演じている。怖がりな私は、やだー!やだー!と手で顔を覆いながら指の隙間からその挿絵を見ていたことをよく覚えている。私の母は、何を伝えようとし...