【日大通信】0981 かな書法 分冊2

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    資料紹介

    課題「三筆三跡の時代ではどのような変化がもたらされたかについて説明しなさい」
    合格リポートです。参考にどうぞ。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

     我が国に漢字がもたらされた上代の後、仏教の伝来した飛鳥時代に写経が広く行われたことにより、日本の書道は急速な発展を見た。この時代、遣隋使により大陸から多くの書が渡来したが、聖武天皇の時代(奈良時代 七〇一~七五六)になって王羲之の書が伝来したという記録が『正倉院文書』に残されている。
     王羲之は東晋の政治家・書家であり、その貴族的でいて力強い書は書道の最高峰と呼び声高く、書聖と崇められるほどであった。日本においてもそれは同様であり、聖武天皇や光明皇后をはじめとする貴族社会で尊重されたのである。具体的には、律令制度下の教育機関である大学寮に書博士という役職が設置されたことが挙げられる。ここには後に「書道」と呼ばれる学科が形成されたが、早い段階で衰退している。
     平安時代に入っても我が国の書道は王羲之の影響下にあったが、この時代に日本は三人の能書を得ることになる。それが所謂「三筆」と呼ばれる弘法大師空海・嵯峨天皇・橘逸勢の三人である。先にも触れたとおり当時の書道は王羲之に範をとったものであったが、空海や伝教大師最澄(彼もまた、特筆すべき能書であった)が遣唐船で大陸に渡り、顔真卿をはじめ唐...

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