【H25.26年度対応】0015歴史学<分冊2>日本大学通信教育部/評価S

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    資料紹介

    世界の歴史・宋と中央ユーラシア/井原弘ら
    科挙/宮崎市定

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    「蘇舜欽・方臘・林二十三娘-中国・宋」
    宋は、960年から1279年に中国に存在した王朝である。宋代は、官僚制度、軍制、貨幣制度など諸制度の完備と完成が目立った。交通網の整備も進んだ。全国に道路網がはりめぐらされ、宿屋が完備し、人々が行き交った。五大十国の分裂時代に寸断された大運河や陸路も整備され、物流も激しくなった。ここでは、蘇舜欽・方臘・林二十三娘が生きた、現代社会の基盤が形成されたとも言われる近世初期「宋」の時代外概観及び地域の在り方について論ずる。

     科挙制度においても、宋代に入り本格的に運用されるようになった。もともと中国には、郷挙里選や魏の九品官人法など、人のランクを定め、人材を抜擢する方法は古くから知られていた。それらはすべて他薦制だったが、やがて試験によって人選する制度が考え出される。それらが、隋になり貢挙が登場し、宋代の科挙官僚制へ繋がった。

     科挙は、三年に一度行われ、合格者数は約六〇〇〇万人のうち数百人程度であった。例外を除き、全員に受験資格があり、合格後は官僚として登用されるため、受験者が多かった。しかし、長期的で連続した試験のため、絶えず勉強し続けるだけの...

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