1. 「はじめに」
今回私は講義でとりあげた経済人の中で一番評価が高いと思ったのは、阪急グループの創設者である小林一三です(以下一三と記します)。
また今日の日本を予見できるような事業の展開をしてきたのは。また一三という人物が事業に対して自分本位ではなく、大衆本位の考えを持っていたというのも、今回私が一三をとりあげたきっかけにもなりました。
創造性という面で考えた時も、一三の一生を語るにその旺盛な創造力というものは欠かせないとも思いました。
2.小林一三の行った事業
ここでは一三が一生の間に行った代表的な事業について書こうと思います。
小林一三という事業家は実に多様な顔を持ちます、慶応義塾を出ての人生の振り出しは銀行員だが、その後鉄道事業、宅地開発、百貨店、映画、電力など実に多くの事業を手がけ、成功に導きました。
様々な事業の中で、一三が最初に行った仕事は鉄道事業です、きっかけは明治40年、34歳のときに銀行を辞めた一三は、かねてから彼を買っていた元上司の勧めで、箕面有馬電軌株式会社(阪急の前身)の支配人を引き受けたのがきっかけです。ところがこの会社自体は、赤字になること必至の難物だったのです。なぜなら日露戦争の反動不況と沿線が未開発なので、経営が前途多難だったため誰も関わろうとしなかったのです。
箕面有馬電気軌道の事業は大阪を起点にしており、郊外の田園地帯に線路を計画する田舎電車であり、沿線人口も少なく、「あんな所へ電車を走らせたって、乗る者はいない。倒産するのは目に見えている」と陰口を叩かれていたといいます。
しかし一三の考えは違っていました、ある日一三は箕面有馬鉄道軌道の沿線を歩いてみた。のどかな田園が続いていた、その時これは成功すると確信するのです。
1. 「はじめに」
今回私は講義でとりあげた経済人の中で一番評価が高いと思ったのは、阪急グループの創設者である小林一三です(以下一三と記します)。
また今日の日本を予見できるような事業の展開をしてきたのは。また一三という人物が事業に対して自分本位ではなく、大衆本位の考えを持っていたというのも、今回私が一三をとりあげたきっかけにもなりました。
創造性という面で考えた時も、一三の一生を語るにその旺盛な創造力というものは欠かせないとも思いました。
2.小林一三の行った事業
ここでは一三が一生の間に行った代表的な事業について書こうと思います。
小林一三という事業家は実に多様な顔を持ちます、慶応義塾を出ての人生の振り出しは銀行員だが、その後鉄道事業、宅地開発、百貨店、映画、電力など実に多くの事業を手がけ、成功に導きました。
様々な事業の中で、一三が最初に行った仕事は鉄道事業です、きっかけは明治40年、34歳のときに銀行を辞めた一三は、かねてから彼を買っていた元上司の勧めで、箕面有馬電軌株式会社(阪急の前身)の支配人を引き受けたのがきっかけです。ところがこの会社自体は、赤字になること必至の難物だっ...