倭国の形成
近年の調査によって、倭国の国家形成論において日朝関係がどのように成り立っていたのか、また古代の日本の軍事が、アジアの他地域から影響を受けた部分と受けなかった部分を具体的に述べる。
日本と朝鮮半島それぞれの位置は、海によって隔てられているが昔からお互いの国では交流があった。一般的な一説では、日本列島に縄文人が住んでいたが、日本列島に朝鮮半島や中国に住んでいた人々がやってきて混血していったことで日本人が形成されたといわれている。
紀元前108年頃に中国の漢という国が朝鮮半島に楽浪郡を設けた。中国の歴史書の記録によると、「倭」と呼ばれていた日本列島には小さな国々が分かれて設立しており、その使節団が楽浪郡にやってきたことが最初の交流の始まりである。この頃の朝鮮半島は、漢や高句麗などの小諸国などが存在していた。
倭国の初期国家形成の段階として古墳時代の政治体制や前方後円墳体制が整えられる時代であると定義する。初期の国家形成の段階の指標の一つは物資流通と政治的権力があるかどうかである。日本と中国は鉄などの素材がそれぞれの国にあることから物資の交流があったと推測することができる。鉄資源が...