日大通信 人文地理学概論 分冊Ⅰ・Ⅱ

閲覧数2,782
ダウンロード数29
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員1,100円 | 非会員1,320円

    資料紹介

    分冊Ⅰ 

    地方都市の都心と、大都市圏内に位置するそれとの差異は、景観的に大きな違いがみられる。そこで、一つの都市域内に都心が「単核構造」を形成しているような事例地を、各自が国内から選びだし、都心(中心部)の近現代における変遷過程や現状についてまとめること。

    キーワード:中心商業地 歴史的核心地 都心ドーナツ化現象 都心再開発



    分冊Ⅱ

    早くから、大都市ロンドンに集中する人口増に苦しんできた英国においては、都市とは、また都市に居住するとは何かといった課題に、国民の多くが強い関心を持ってきた。一方、わが国の都市研究者たちも、大正末から昭和初期にかけて英国を度々訪れ、この国の都市化への対応策を学び、日本独特の都市計画を追求してきた。そこで日英における具体的な当時の施策に関して説明すること。

    キーワード:田園都市 ニュータウン 郊外住宅 都市近郊



    どちらも合格レポートですがあくまでも参考としてお使いください。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    分冊1
    都心の中心部の変遷課程や現状の例として山形県山形市を挙げたい。2005年の国税調査によれば山形市の人口は255959人であり、高度経済成長期から人口増加が見られてきた。山形市は東北6県の県庁所在地の中でも最も人口の少ない都市であるが、県内首位都市としての地位は大正期において既に確立しており、人口規模の優位性は維持されている。しかし、1970年以降、その他の都市が若干ながら人口を増やしており、これは山形市内での住宅供給が組織的に行われなかったために、山形市の持家購入希望者が市外に流出したことに起因している。

    山形市の中心的商業地として挙げられるのは十日町を中心とした山形駅周辺の地区である。この地区には馬見ヶ崎川が流れており、歴史的核心地として発展を遂げてきた。この地は近世期初頭に最上義光によって築かれた城下町を空間的な基盤にしている。関ヶ原の戦いには直接参戦はしなかったが、東軍に属して上杉氏を東北に足止めしたことが評価され57万石となり、山形城下は増封後に整備された東北有数の大城下町となった。しかし、義光の死後に起こったお家騒動により山形城下は衰退の一途をたどる。反面、大商人の...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。