佛教大学通信教育課程、教職課程における、Z1109生徒指導・進路指導の研究(中・高)のリポート(第一設題)です。B判定でした。レポート作成の参考にご利用ください。
※参考にする際の注意
本レポートはB合格です。所見には、「生徒指導の定義やその目的については記述できていますが、生徒指導上の留意点についてもう少し詳しく考察してみましょう。とりわけ、中学校、高等学校教員にとって生徒指導上、必ず理解しなければならない点について生徒理解を中心に述べる事が望ましいでしょう」とありました。
既に5000字以上あり、このままいくと設題の3200字の二倍以上になる訳ですが、そう所見を述べている以上、文字数については気にしていないのかもしれません。
中学・高校における生徒指導の原理および意義は何か、また、
その際に留意しなければならないことは何か、
生徒指導の具体例を示しながら説明してください。
・はじめに、序論と注意書きに代えて
生徒指導の原理については、テキスト14,15頁に端的にまとめられている。即ち、「そして、生徒指導の原理として4点をあげており、それは、①自己指導の助成のための方法原理、②集団指導の方法原理、③援助・指導の仕方に関する方法原理、④組織・運営の原理であるとしている」と書かれた部分、及びこの後に続く説明である。
この文章は、1965年旧文部省によって作成された『生徒指導の手引』(テキストでは『手びき』)をまとめたものである事が、テキスト14頁にて述べられている。こちらを読むと、どうも「原理」と「意義」という言葉が一部混用されてしまっているような感想を受ける。例えば「①自己指導の助成のための方法原理」というのは、説明を読むと原理ではなく意義ではないか、という気がしてくる。
一方、この『生徒指導の手引』は、その後1981年に改訂され、更に2010年には大改訂を受け、『生徒指導提要』の名で発表された。これは刊行されている一方で、文部科学省のHPにて全文を読む事ができる。
こちらを読んでみると、「意義」と「原理」については、第一章「生徒指導の意義と原理」にまとめられている。そして、「原理」という言葉が使われているのは主に第四節である。この第四節はタイトルが「集団指導・個別指導の方法原理」であり、第一項が「集団指導と個別指導の意義」、第二項が「集団指導の方法原理」、第三項が「集団指導と個別指導の意義」となっている。
一方、意義については、第一節「生徒指導の意義と課題」にまとめられており、特にその第一項「生徒指導の意義」で述べられている。この事から、『生徒指導提要』では「原理」と「意義」が明確に分離している事が分かる。
では、テキストを参考にしつつ、『生徒指導提要』を使い、生徒指導の原理と意義についてみてみよう。テキストは主にQ1からQ21、特にQ7とQ8を参考にした。
なお、以下本文中で「」付で引用された文章に(○p)と表示されていた場合、pdf版『生徒指導提要』の1-4章編の頁数である。
また、本項を除いた本論の文字数は4045字、含めると5701字である。本項は注意書き的性格が強く、本項を除いた字数を基準に、設題字数プラスマイナス800字ほどを目安に執筆した。
・生徒指導の意義
生徒指導の意義以前の問題として、生徒指導とはいったい何であるか。これについて『生徒指導提要』は、「生徒指導の意義」冒頭で述べている。曰く、「生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的 資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです」(1p)と。
テキストや『生徒指導提要』を読んでいくと、このような文章が形を変えながら何度も登場する。それを端的に表現すれば、生徒をよりよい人間にするための教育、というものになる。もしくは、生徒の人格をよりよいものにするための教育、という事もできるだろう。
さて、「意義」とは三省堂の大辞林によれば「ある言葉によって表される内容。特に,その言葉に固有の内容・概念」「物事が他との関連において固有にもつ価値や重要性」である。今回、わざわざ「意味」ではなく「意義」という単語を課題に選んだ事を考えれば、生徒指導の価値、そして重要性とは何かについて論じねばなるまい。即ち、生徒をよりよい人間にする教育を行う事の、価値と重要性である。
その点について、『生徒指導提要』はその第一章第一節「生徒指導の意義」において「自己実現」という言葉を繰り返し使っている。この言葉は本来心理学用語であり、クルト・ゴルトシュタインが初めて使った言葉である。が、おそらくここで想定されている「自己実現」というのは教育学にも影響を与えたエイブラハム・マズローのものであろう。
マズローは、人間の欲求をより低次のものから高次のものへ、五段階に分ける。その内低次の四欲求を欠乏欲求と呼び、高次なものを存在欲求と呼ぶ。欠乏欲求とは、例えば生理的欲求(食欲睡眠欲排泄欲等)に代表されるような、比較的低次の欲求である。それとは違い、存在欲求とは即ち自己実現の欲求であり、即ち、自らの持てる力を振り絞り理想の自分になろうとするものである。
この自己実現は、欠乏欲求の一つである「承認欲求」とは異なる。これは、社会から評価されたい、もしくは他者から尊重されたい、ひいては、そういう人になりたい、という欲求である。一方、「自己実現欲求」は、自らが思い描く理想の自分になりたい、そのために努力したい、そういう欲求である。他人にちやほやされたいという他者中心の価値観を根底に持つのが「承認欲求」であり、こちらには、確固たる自分というものがない。一方、「自己実現欲求」には、自分のなりたいものになるというものであるから、自分というものが確立されてこその欲求である。
生徒を、欠乏欲求だけを追い求めるような、悲しく、一種動物的な存在にしてはならない。積極的に自己実現を追い求めるような、よりよい人間に導くのだ……そんな意図を、『生徒指導提要』から読み取る事ができる。まさしくそれこそが、『生徒指導提要』の掲げる「生徒指導の意義」なのであろう。
そのための基礎として「日常の学校生活の場面における様々な自己選択や自己決定」(1p)があり、「その過程において、教職員が適切 に指導や援助を行うことによって、児童生徒を育てていくことにつなが」(1p)ると述べられている。そうする事によって、自己実現に向かう「自己指導能力」(1p)をはぐくむのである。
・生徒指導の原理
原理については、『生徒指導提要』では、主に第一章「生徒指導の意義と原理」第三節以降で述べられている(第二節は「教育課程における生徒指導の位置付け」であり、基本法則、即ち原理とは少々異なる)。
まず、第三節「生徒指導の前提となる発達観と指導観」第二項「教育観・指導観」第一目「前提となる教育観」、その②「基本的な資質や能力の育成」にて、生徒指導を通してどのような資質・能力を育てる必要があるか、述べられている。
そこにあるのは「自発性・自主性」「自律性」「主体性」の三つである。即ち、他者の言いなりになるのではなく、自分から自分の望んだように行動しようという「自発性・自主性」。とは言えただ自発的・自主的であれば何でもいい訳ではなく、動物的な衝動や欲求を抑える必要があり、そのための「自律性」。そして、仮に自発的・自主的に動けない状況であったとしても、他者の言いなりになるかそれを拒否するかの二者択一に陥る事なく、「自分なりの意味付け」や「自分なりの工夫」によって、他者の命令であっても主体的に行動しようとする「主体性」。
この三つを育てる事によって、自己実現に向かう人間性教育ができるのである。これらの育成によって得られる力を、同目③では「自己指導能力」と表現している。
また、第三章「集団指導・個別指導の方法原理」においては、その第一節「集団指導と個別指導の意義」において、「集団指導を通して個を育成し、個の成長が集団を発展 させるという相互作用」(原文ママ)(14p)について述べ、集団指導と個別指導を別々に考えるのではなく、一体として考えるよう指摘している。その際、どちらも「①「成長を促す指導」、②「予防的指導」、③「課題解決的指導」の三つの目的に分けることができ」(14p)るとしている。
特に重要なのは、①「成長を促す指導」である。これは、「すべての児童生徒を対象に、個性を伸ばすことや、自身の成長 に対する意欲を高めること」(20p)であると述べられている。集団指導であろうとも個別指導であろうとも、生徒指導は、すべての生徒に対し、先に挙げた三要素の成長を促し、自己指導能力を養わなければならない。それがひいては、自己実現に向かう人格の育成につながるのである。これが、生徒指導の原理であると言える。
・生徒指導の上で留意しなければならない事
生徒指導の意義では、自己実現について述べた。この項は、生徒指導とはよりよい人間に生徒を育てる教育であり、具体的には、自己実現ができるような人間に育てるのだ、それが生徒指導の意義である……というような内容だったはずである。
ここで注意しなければならない事がある。誰もが自己実現に向かう下準備を終えている訳ではない、という事である。マズロー自身、欠乏欲求を満たした上で向かうのが自己実現欲求であるとしている。極端な話、明日の食べるものにも困る生活をずっと送っている人間が、自己実現がどうのとは言えないのだ。マズローは一方で、欠乏欲求は100%満たす必要はないとも、一度満たされれば欠乏に耐性ができるとも言っているが、例えば、荒れた家庭で育ちろくな教育を施されなかった生徒児童に、いきなり自己実現に向かうよう教育を施そうとしても無理である。同様に、小学校低学年の生徒も、一般的には、自己実現に向かう準備はできていないだろう。
つまり、生徒集団の発達段階や、生徒の個人差について配慮する必要がある訳である。これについては『生徒指導提要』でも指摘されている。例えば、生徒指導の原理の項で、三つの目的について述べた。①「成長を促す指導」、②「予防的指導」、③「課題解決的指導」、である。この内①は自己実現に向けての直接的な教育であるが、②と③は、“それどころではない”生徒向けのものである。...