カントの「もの自体」という概念はつぎのようである。神のような存在があるとして世界の客観(本質)は神だけが認識できる。人間は理性(認識)の能力に限界があるから、ただ世界のありようの一面(現象世界)だけしか把握できない。世界の本質(=完全な客観)は、人間には、原理的に認識不可能なのである。ここで世界の本質とは、つまり、世界の起源や限界、自由、などなどの『形而上学的問題』に対する完全な答えをも含んでおり、人間の理性はその本性的な限界によってこれらを認識できない。要するに、カントは世界を、神しか知り得ぬ「もの自体」の世界(=本質の世界)と、人間が経験によって知り得る限りでの「現象」の世界に分け隔てた。
近代哲学は、人間はいかに客観世界を正しく認識できるか。「主観-客観」問題が中心テーマである。近代認識論は、デカルトが「コギト」という考え方によって、またイギリス経験論が「経験」こそ一切の認識の根拠だという考え方によって神学の前提から脱却することから始まった。デカルト説からは精神・身体の二元論が出てきて、世界説明の一貫性という観点からは収まりが悪い。また、一切を「経験」的習慣に帰するイギリス経...