小林行雄は、明治44(1911)年に兵庫県神戸市に生まれた。昭和初頭に浜田耕作・梅原末治・森本六爾らと出会い、京都大学で教鞭をとった。平成元(1989)年死去(享年77歳)。研究分野は、弥生時代から古墳時代の埋葬施設についてで、特に古墳の副葬品である三角縁神獣鏡の研究に精通しており、その経歴は大きく4つに分かれるのである。
小林行雄について
小林行雄は、明治44(1911)年に兵庫県神戸市に生まれた。昭和初頭に浜田耕作・梅原末治・森本六爾らと出会い、京都大学で教鞭をとった。平成元(1989)年死去(享年77歳)。研究分野は、弥生時代から古墳時代の埋葬施設についてで、特に古墳の副葬品である三角縁神獣鏡の研究に精通しており、その経歴は大きく4つに分かれるのである。
第一期
氏の人生の第一の転換期は、浜田耕作・梅原末治・森本六爾らとの出会いである。氏は、若い時から考古学に興味を持っており、森本六爾の主宰する雑誌『考古学』に論文を次々と発表していた。昭和5(1930)年の夏、上京して森本六爾と出会い意見を交わし、秋には「弥生土器に於ける櫛目式文様の研究」という論文を発表した。その後もいくつかの論文を同誌に掲載し、昭和9(1934)年には梅原末治と共に、京都府北白川小倉町の遺跡調査を行った。この年を境に、氏と森本六爾を始めとした京都大学の先生方との関係が密接なものになっていく。
氏はこの時期、弥生式土器の文様を中心に研究しており、それが後に弥生式時の文様編年として大成するのである。その後、昭和13(1938)年...