2009年度 現代福祉社会論 レポ-ト

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    資料の原本内容

    福祉社会の条件や基盤、原動力について説明しなさい。
      「福祉」=welfareは、well=良い、とfare=行く、暮らすが合わさったことばであり、「快い暮らし」という意味である。「快い暮らし」とは「人が幸福と感じることをその人自身が決定し、その人自身がそれを実践できる暮らし」と考えられる。これはその人が一人の人間として尊重されているということで、福祉社会の条件のひとつである。この条件は基本的人権の保障といわれており、このために必要なものを述べる。基本的人権は、大きく自由権と社会権に分けられる。自由権とは「自由に生きる権利」のことである。ただ、人の自由が他人の自由を奪うようでは他人の自由権を侵していることになるので、この権利はすべての人に保障されなければならい。そのため、私たちにお互いの自由を認めあう努力は欠かせない。また、自由権の保障は別名「国家からの自由」ともいわれる。これは過去人間が自由を支配層や権力との闘いの中で勝ち取ったことを意味しており、歴史的にみて自由の確保が無条件に可能ではないとわかる。したがって、私たちに自由権を発展させる主体的な努力も欠かせない。しかし、自由権を手に入れた人々は新たな問題を抱えた。それは「自由に生きていい」という名目で、病気で失業するも貧困で教育を受けられないことも本人の意志ゆえの自由、つまり「結果はその人の責任だから助けてやらなくていい」という考えによるものである。そこで個人責任に帰着させることができない社会問題の解消のため、国家に積極的な配慮を求める権利が生まれた。これが社会権である。このように考えていくと、民主主義も福祉社会の条件、基盤としてあげられる。上述のように自由権の保障にはお互いを認めあわねばならない。このためには、すべての人は平等で生命や自由を奪われないという民主主義の思想は必須である。また社会権の保障のためには、社会権の実現を担っている国家を、国民がコントロールできなければならない。すなわち、国民主権を掲げる民主主義の政治制度も必須である。次に反福祉的状況を通して、福祉社会の条件、基盤をみていく。その状況とは戦争で、まさに「福祉」の対極である。また貧困や差別を押しつけられ、社会参加を閉ざされ、失望のうちに暮らさざるをえないような「構造的暴力」を被っている状況もこれである。この二つの状況は日本国憲法前文にある平和的生存権を侵しており、単なる外交や国家の仕組みの問題では片付けられない基本的人権の侵害である。よって平和であることが福祉社会の条件であり、平和を人権としてとらえ、維持する社会が基盤でなければならない。
    これまで述べてきた福祉社会の条件や基盤は、社会側からの巨視的な視点である。次は、私たちにもっと身近な生活側からの微視的な視点でこれらを述べていく。それは公共化、協同化としての生活の社会化の発展である。まず、生活の社会化について述べる。これは、「従来は家庭生活のなかにあった機能や役割が商品や公共サービスなどとして社会的に供給されるようになること」をいう。近代以前の農村的生活様式では、必要な生活財は自ら生産、またはそれと共同体の他の人が生産したものとを交換して入手していた。また必要なサービスも共同体での助けあいとして供給されていた。すなわち、モノは商品化されておらず、個々の生活は共同体のなかで結びついていた。一方、現代の資本主義が発展した都市的生活様式では、必要な生活財は、自らは生産できないので商品として市場で貨幣と交換して入手するしかない。必要なサービスについては、生活財同様商品として入手するか、国や地方自治体による公共サービスとして、または新たな地域の協力を発展させて供給される。これは、資本主義社会で労働者は資本家に労働力を売って、形式的には人格的に自由で身分制からも旧共同体からも解放される。それにともなって、旧共同体は解体されていき、農村的生活様式のように頼ることができないからである。資本主義社会は、あらゆる「生活財とサービスの商品化」が進む社会であり、ゆえに私たちは衣食などの基本的な生活の欲求を充たし、さらに個人的嗜好を楽しむ生活を享受できるのである。そこで、この商品化が進みすぎることを考えてみる。すなわち、資本主義の発展により貨幣経済が浸透しすぎると、貨幣をもっている人は生活財やサービスを入手できる一方、持っていない人は入手できない社会であり、このままでは病気や障害などで賃金が下がり、貧困になったとしても「貨幣がないなら仕方ない」という冷酷な社会になる可能性をはらむ。これを防ぐために、個人の力だけで入手しなければならないという個人責任に、すべてを負わせないシステムが必要となってくる。それが公共化としての生活の社会化である。これは「個人や世帯の所有する貨幣の量や貨幣を媒介した関係性による『社会化』ではなく、生活を公共的に支える基盤や共同の消費手段を整備し、個々の生活がそれと結合することによって生活を営む展開」である。どのように商品化が進展しても上下水道がなければ個人消費は行えない。上下水道の整備は公共部門のよって整備するしかない。つまり、私たちには生活を社会的に共同して維持・再生産する仕方が公正な税制を機能させ、整えられなければならない。また、あらゆるモノの商品化が進み、共同体ではなく市場から供給されることにより共同体とのつながりは薄れる。しかし、人々が共同体から切り離されても、生活の中には子育てや人々の交流、高齢者への援助などが不可欠であり、地域から生み出される相互扶助の活動が必要である。そのためにも、生活支援サービスを供給するシステムが必要となってくる。それが協同化としての生活の社会化である。これは「旧共同体の中で担われていた相互扶助や援護の機能を、現代的に再編成し新たな協同性をさぐりながら作りだそうとする動き」である。旧共同体から切り離されても人々には生活を支援するサービスや交流は必要であり、一部を「公共化としての社会化」として供給していく。しかし、これはやはり例えば地方自治体と市民など「与える・与えられる」という関係である。これに対して市民が当事者同士の関係の中で、自主的に共同的再生産を展開していく「協同化としての社会化」は日常的な人々の交流などを基盤にし、市民としての共同・連帯の精神に基づき、ゆたかさやうるおいのある生活をつくる意義と可能性をもつ流れである。
    最後に、福祉社会の原動力について述べる。それはお互いを認めあい、国民が国家をコントロールできる民主主義の思想と政治制度が基本であり、これを教育によって啓発していかねばならない。また世界はすでに始まっている。資本主義が発展し、民主主義が根付いて、生活の社会化が進んでいって、公共化・協同化がなされるという単純なものではない。今生きている私たちの協同の取り組みとしての地域の活動・サービスが登場し、それが住民生活にとって不可欠なものとして定着いくなかで、より安定的に共同生活手段として生活の再生産に組み込む必要性が認識され、民主主義の力と運動に押されて公共化が発展し、協同の取り組みが再びこれらを補完するのである。このように民主主義に基づいた市民レベルの活動や運動が福祉社会実現の原動力となる。
    参考文献
    岡崎祐司『現代福祉社会論』
    真田是『社会福祉の今日と明日』、『社会問題の変容』
    伊藤真『高校生からわかる日本国憲法の論点』

    コメント1件

    social-help 販売
    佛教大学通信へ提出のため書きました。批判していただけると嬉しいです。
    2009/05/21 11:44 (15年7ヶ月前)

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