3-7ベルの不等式

閲覧数3,977
ダウンロード数11
履歴確認

    • ページ数 : 9ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    ベルの不等式
    この話がしたくてスピンの記事を書いてきた。
    量子力学は間違っている?
     アインシュタインは量子力学に反対した。 しかし決して邪魔したわけではない。 彼は人一倍考えていた。
     真剣になって考え、反対してくれる人がいるのは心強いものだ。 誰もが彼に相談に行く。 厳しい反対者でさえ認めるくらいの理論が作れれば理論は完成したと見ていい。 それほど彼は信頼されていた。 彼は目立たないところにいたが常に量子力学建設の中心人物の一人だったのだ。
     いや待てよ、本当に中心だったかなぁ・・・? 脇の方でボーアとアインシュタインが論争していてくれたお陰で、他の人たちが自分の研究に集中できたという雰囲気も感じないではない。
     彼は量子力学に弱点を見つけた。 理論にほころびがあると指摘した。 多くの人がその点を修正してより良い理論を作ろうと思った。 一方、無視して理論を発展させることに集中した人も多くいた。
    EPRパラドックス
     その弱点を指摘した論文は弟子たちと連名で発表したため、「アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンのパラドックス」と呼ばれている。 頭文字だけを取って「EPRパラドックス」と呼ぶことが多い。 1935年の発表だから、量子力学の基礎的なところはほとんど完成しており、議論がかなり落ち着いた頃の話だ。 その論文に書かれている哲学的意味はとても深いのだが、そこを省いて興味あるところだけを要約して、さらに現代の視点で解釈し直せば(・・・やりすぎか)、次のようなとても簡単な話でしかない。
     もともとスピンが0である粒子が反応して、結果、スピンを持つ粒子2つが一度に生成されたとする。 この粒子のスピンが上向きか下向きかは測定するまで分からないが、一方を測定して上向きだったなら、もう一方は必ず下向きである。 そうでなければ角運動量保存則に反するだろう。
     量子力学では測定するまで結果が単に分からないというのではなく、状態がどちらとも定まっていないと主張しているのだった。 しかしこの場合、一方の粒子を測定して結果を知ってしまうと、もう一方は測定しなくても状態が定まってしまっているという奇妙なことが起きている。 一方の粒子を測定した事の影響がどのようにして他方に伝わるというのだろう。 これがアインシュタインの疑問だ。
     光の速さより速く情報を伝える具体的な仕組みがあるのだとしたら、相対性理論に反する。 しかし一方を測定したという情報が無限の速さで伝わるのでない限り、角運動量保存則に反する事態が起こり得るのではないだろうか。 例えば二人の観測者が、互いに離れ去ったペアの粒子をそれぞれの場所で測定するとき、一方での観測結果が他方に伝わる前にもう一人も観測してしまったとしたら・・・。 量子力学の解釈ではそれぞれの観測結果は確率で決まるというのだから、両方ともがスピン上向きの結果を得るなんてことも起こってしまうのではないだろうか。 すなわちこれはパラドックスである。
    大切な注: 原論文ではこのことがもっと数学的に記述されている。 だからこそ多くの学者が彼らの意見を放っておくわけにはいかなかったとも言える。 その論文にはスピンの話なんかは出てこなくて、波動関数による抽象的な議論に終始している。 例として精々位置や運動量が出てくるくらいだ。  この話がスピンの話と結び付くのはもっとずっと後の事であり、アインシュタインの主張を確認する現実的な手段としてボームにより提案されたのが1951年のことだ。 しかしその提案当時でさえ、それはまだ思考実験に過ぎなかっ

    資料の原本内容

    ベルの不等式
    この話がしたくてスピンの記事を書いてきた。
    量子力学は間違っている?
     アインシュタインは量子力学に反対した。 しかし決して邪魔したわけではない。 彼は人一倍考えていた。
     真剣になって考え、反対してくれる人がいるのは心強いものだ。 誰もが彼に相談に行く。 厳しい反対者でさえ認めるくらいの理論が作れれば理論は完成したと見ていい。 それほど彼は信頼されていた。 彼は目立たないところにいたが常に量子力学建設の中心人物の一人だったのだ。
     いや待てよ、本当に中心だったかなぁ・・・? 脇の方でボーアとアインシュタインが論争していてくれたお陰で、他の人たちが自分の研究に集中できたという雰囲気も感じないではない。
     彼は量子力学に弱点を見つけた。 理論にほころびがあると指摘した。 多くの人がその点を修正してより良い理論を作ろうと思った。 一方、無視して理論を発展させることに集中した人も多くいた。
    EPRパラドックス
     その弱点を指摘した論文は弟子たちと連名で発表したため、「アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンのパラドックス」と呼ばれている。 頭文字だけを取って「EPRパラドックス」と呼ぶことが多い。 1935年の発表だから、量子力学の基礎的なところはほとんど完成しており、議論がかなり落ち着いた頃の話だ。 その論文に書かれている哲学的意味はとても深いのだが、そこを省いて興味あるところだけを要約して、さらに現代の視点で解釈し直せば(・・・やりすぎか)、次のようなとても簡単な話でしかない。
     もともとスピンが0である粒子が反応して、結果、スピンを持つ粒子2つが一度に生成されたとする。 この粒子のスピンが上向きか下向きかは測定するまで分からないが、一方を測定して上向きだったなら、もう一方は必ず下向きである。 そうでなければ角運動量保存則に反するだろう。
     量子力学では測定するまで結果が単に分からないというのではなく、状態がどちらとも定まっていないと主張しているのだった。 しかしこの場合、一方の粒子を測定して結果を知ってしまうと、もう一方は測定しなくても状態が定まってしまっているという奇妙なことが起きている。 一方の粒子を測定した事の影響がどのようにして他方に伝わるというのだろう。 これがアインシュタインの疑問だ。
     光の速さより速く情報を伝える具体的な仕組みがあるのだとしたら、相対性理論に反する。 しかし一方を測定したという情報が無限の速さで伝わるのでない限り、角運動量保存則に反する事態が起こり得るのではないだろうか。 例えば二人の観測者が、互いに離れ去ったペアの粒子をそれぞれの場所で測定するとき、一方での観測結果が他方に伝わる前にもう一人も観測してしまったとしたら・・・。 量子力学の解釈ではそれぞれの観測結果は確率で決まるというのだから、両方ともがスピン上向きの結果を得るなんてことも起こってしまうのではないだろうか。 すなわちこれはパラドックスである。
    大切な注: 原論文ではこのことがもっと数学的に記述されている。 だからこそ多くの学者が彼らの意見を放っておくわけにはいかなかったとも言える。 その論文にはスピンの話なんかは出てこなくて、波動関数による抽象的な議論に終始している。 例として精々位置や運動量が出てくるくらいだ。  この話がスピンの話と結び付くのはもっとずっと後の事であり、アインシュタインの主張を確認する現実的な手段としてボームにより提案されたのが1951年のことだ。 しかしその提案当時でさえ、それはまだ思考実験に過ぎなかった。
    思考実験
     相対論が破れているのか、角運動量保存が破れているのか、それとも量子力学の解釈が間違っているのか。 これを実験で確かめるのは簡単ではなかった。 思考実験なら簡単だが、具体的な手段を考え始めるとすぐに壁にぶつかる。
     一組のペアだけを作り出す技術。 生成した粒子に影響を与えることなく、待ち構えている検出器へとまっすぐ導く技術。 1粒子のスピンだけを検出する技術。 これらは非常に難しい。 だからと言って多数のペアを作れば、どの粒子とどの粒子がペアなのか分からなくなってしまう。 しばらくは思考の中だけで実験を続けるしかない。
     ペアで生まれた粒子が測定されないまま、銀河の端と端に到達したとする。 一方で博士 A がそれを測定したら、スピンは上向きだった。 それを見ていた妖精ティンカーベルは、光のような速さでもう一方の粒子を追いかける。 その向こうでは別の博士 B がその粒子を測定しようと待ち構えていた。 ティンクはニヤニヤしながらそれを見ている。  「測定するだけ無駄よ。 その結果はスピン下向きになるわ。」  結果はその通りになった。 これは当たり前の話だ。 博士 A が測定した時点で、もはや確率なんて関係なかったのだとティンクは思った。
     しかし博士 B はこう考えた。 私はティンクが言うのを聞いてしまった時点で観測したことになるのだ。 私は「スピン下向きになるわ」と話すティンクと、「スピン上向きになるわ」と話すティンクのどちらに出会う可能性もあったわけだが、たまたま確率的に前者に出会ったわけだ。
     別のケースを考えてみよう。 博士 A が測定をしてスピン上向きだった。 ティンクは光のような速さでもう一方の粒子を追いかけたが、着いた頃にはすでに博士 B はその粒子を測定し終わっていた。 博士は言った。 「5万年前に測定は済んだよ」 こういう常識外れの寿命の博士が登場できるのが思考実験の利点だ。 ティンクは考えた。 「博士 A が測定してからその情報がここに届くのだとしたら、光の速さでも10万年はかかるはず。 それ以前に測定しちゃったのだから結果はどうなるの・・・?」  博士は答えた。 「スピンは下向きだった。 そして博士 A は上向きを観測したんだろ? そうだね?」 ティンクはそうだと言った。 博士は満足げだ。
     博士はこう考えた。 私は確率的にスピンを観測した。 博士 A の測定とは関係ない。 観測するまでは粒子の状態は定まっていなかった。 しかし私がスピン下向きを観測した時点で、博士 A がスピン上向きを測定したことを証言するティンクがやがて来るだろう事が確定したのだ。 それまではどちらのティンクも私の元へ来る可能性があったのだ。
     思考実験はここまでにしよう。 以上が量子力学的な考え方だ。 しかも相対論に矛盾するような考え方も避けているのが分かるだろうか。 情報が光より速く伝わったとは考えていないのだ。 量子力学に間違いがあるなどと言えるだろうか。 矛盾なんてどこにもないのだ。
     しかしこの解釈が正しいかどうか知る方法がない。 そこでアインシュタインは考えた。 こんな奇妙な考え方をしなくても、粒子が生成された時点ですでにどちら向きの粒子として観測されるかが決まっているのではないか。 そう考えても同じ結果を説明できるではないか。 粒子の内部にはまだ知らない変数があって、それが測定結果を決めているはずだ、と。
     この考えに影響され励まされた人が多くいたため、しばらくの間、「隠れた変数理論」の追求が流行ることになる。
    ベルの不等式
     この議論は30年近く続いた。 隠れた変数理論を見つける努力も続いた。 実験で確かめる方法がない以上、なかなか決着の付く話ではなかった。 理論というのは実験がなければ無力なものだ。 しかし1964年、この問題に決着を付ける手掛かりがベルにより提案されたのだ。
     これから紹介する「ベルの不等式」と呼ばれるものには幾つかのバリエーションがある。 CHSH不等式なんていう、数学的にもそれほど難しくなく、より深い見方ができるものもあるのだが、ここで説明するにはちょっと堅苦しい。 興味のある人は他の教科書をあたってもらいたい。 ここでは電子のスピンを使った一番納得し易そうな形のものを紹介することにしよう。
     まず、次のような3種類の測定を考えて、それぞれを A、B、C と呼んで区別しよう。 測定 A は x 軸方向のスピンを測るもの。 測定 B は x 軸に対して角度 θb だけずらした軸でスピンを測るもの。 測定 C は x 軸に対して角度 θc だけずらした軸でスピンを測るもの。 つまり前に出てきたフィルター装置を回して、通過するかどうかを見るわけである。
     量子力学では測定するまでは結果は定まっておらず、測定の瞬間に確率によって決まると主張しているのだった。 しかし今はこの考えに真っ向から対立する仮定を置こう。 粒子は生まれた瞬間に次の測定でどんな結果になるか、すでに決まっているのだとする。 それを決めるような変数が粒子の内部にすでにあるというわけだ。
     つまり測定 A を行った場合に上になるか下になるかが予め決まっており、もし測定者が気まぐれで代わりに測定 B を行ったとしても、その結果が上になるか下になるかは、予め決まっているとする。 測定 C についても同じである。
     誤解のないように注意しておくが、どの測定をしても同じ結果が出ると言っているわけではない。 どの測定をしたらどの結果が出るかが予め定まっていると言っているのだ。  さらに注意したいのは、2つ以上の測定を連続して行うようなことは考えていないということだ。 一つの測定をした結果、内部で設定されている変数が変化してしまう可能性はある。 これを否定する仮定をすべきではない。
     ここでは A, B, C の3つの測定だけを用意したが、それ以外の無数の角度について測定をしたときにどんな結...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。