中国黄土高原

閲覧数1,737
ダウンロード数7
履歴確認

    • ページ数 : 9ページ
    • 全体公開

    資料紹介

    中国黄土高原
    大同の地理・気候・歴史
    地理と地形
     緑の地球ネットワークの緑化協力地、中国山西省大同市は北緯40度、東経113度のあたりにあり、面積は14,200平方km、人口はおよそ300万人です。山西省では省都太原につぐ第2の都市ですが、市街地はごく一部で、大部分は農村地帯です。
     大同市のほぼ中央を桑干河が西から東に横切り、河北省にはいって官庁ダムに流れ込みます。ダムから下流では永定河と名を変え、北京の西郊外を流れ、天津のそばで海河に合流し、渤海に注ぎます。官庁ダムは北京にふたつしかない水がめのひとつだったのですが、近年は水量の減少により水質が悪化し、上水にはつかわれていません。
     大同盆地は桑干河の流域に広がり、ここが大同市の中心です。盆地の標高は1,000m前後です。
     大同盆地の地下には、その周囲を含めて、膨大な石炭があり、埋蔵面積は1,800平方km、埋蔵量は400億t近いといわれ、現在も中国一の産炭地ですが、中国でもエネルギーの転換がすすみ、石炭産業はかつての勢いを失いました。それらの石炭を利用し、火力発電がおこなわれ、かなりの部分が北京などに送られています。
     大同盆地を除く大同市の北部は黄土丘陵です。山には樹木がなく、山腹や丘陵の急斜面まで段々畑が切り開かれています。夏の雨によって刻まれたガリ=浸食谷が縦横に走り、小型のグランドキャニオンともいえる景観をつくりだしています。
     大同市の南部は、太行山脈とその支脈である恒山山脈とからなる山地と、黄土丘陵とが入り組んでいます。太行山脈にもほとんど樹木はなく、すでに土壌が失われて、岩盤の露出しているところが多くみられます。
    大同市全体でみれば、盆地、丘陵地、山地がそれぞれ3分の1くらいずつの割合です。
     その盆地、丘陵地、山地はどのように分布しているのでしょうか。市全体でみると、大同盆地が中心になっていますが、その下の県でも県城(県政府所在地)はすべてが盆地にあり、県と県の境界はほとんど例外なく高い山か丘陵です。お皿のようなものをズラッとならべた状態を考えてもらえばいいでしょう。
     そのような地形では、降った雨はお皿の底に集まります。地表水だけでなく、地下水もたいていはお皿の底に多いものです。土も水といっしょにそこに集まります。降った雨はいったん県城を中心とする盆地に集まり、そこから1本か2本の河川となって、山のあいだを抜けて、華北平原に下っていきます。水と土の豊かさが人間活動のキャパシティになるので、盆地には人口、経済、文化が集中し、政治の中心ともなっていきます。その逆に、お皿の縁にあたるところは、土がやせ、飲み水にさえ困る状態で、たいへん貧しいのです。
     郷や鎮のレベルでも、お皿構造になっており、お皿の底にあたる比較的大きく豊かな村に、郷政府がおかれることになります。そして丘陵や山、ときとして河川などが郷と郷との境界になっていますが、お皿の縁にあたるところの村は貧しくて小さいことになります。
     農村人口の6分の1~3分の1(年によって大きく変わります)が、中国の貧困ライン=1人あたり年間所得500元(1元=約15円)以下で暮らしていて、中国でも有数の貧困地域です。沿海の北京、上海などとの地域間格差は開くばかりですが、あわせて地域内の格差も深刻です。
    気候
     気候区分からいえば、大同は大陸性の温帯モンスーン気候に属し、年平均気温は6.4℃ほどですが、年較差が大きく、いちばん寒い1月の月平均気温が-11.3℃(平均最低気温は-17.0℃)、いちばん暑い7月の月平均気温は21.8℃(平

    タグ

    資料の原本内容

    中国黄土高原
    大同の地理・気候・歴史
    地理と地形
     緑の地球ネットワークの緑化協力地、中国山西省大同市は北緯40度、東経113度のあたりにあり、面積は14,200平方km、人口はおよそ300万人です。山西省では省都太原につぐ第2の都市ですが、市街地はごく一部で、大部分は農村地帯です。
     大同市のほぼ中央を桑干河が西から東に横切り、河北省にはいって官庁ダムに流れ込みます。ダムから下流では永定河と名を変え、北京の西郊外を流れ、天津のそばで海河に合流し、渤海に注ぎます。官庁ダムは北京にふたつしかない水がめのひとつだったのですが、近年は水量の減少により水質が悪化し、上水にはつかわれていません。
     大同盆地は桑干河の流域に広がり、ここが大同市の中心です。盆地の標高は1,000m前後です。
     大同盆地の地下には、その周囲を含めて、膨大な石炭があり、埋蔵面積は1,800平方km、埋蔵量は400億t近いといわれ、現在も中国一の産炭地ですが、中国でもエネルギーの転換がすすみ、石炭産業はかつての勢いを失いました。それらの石炭を利用し、火力発電がおこなわれ、かなりの部分が北京などに送られています。
     大同盆地を除く大同市の北部は黄土丘陵です。山には樹木がなく、山腹や丘陵の急斜面まで段々畑が切り開かれています。夏の雨によって刻まれたガリ=浸食谷が縦横に走り、小型のグランドキャニオンともいえる景観をつくりだしています。
     大同市の南部は、太行山脈とその支脈である恒山山脈とからなる山地と、黄土丘陵とが入り組んでいます。太行山脈にもほとんど樹木はなく、すでに土壌が失われて、岩盤の露出しているところが多くみられます。
    大同市全体でみれば、盆地、丘陵地、山地がそれぞれ3分の1くらいずつの割合です。
     その盆地、丘陵地、山地はどのように分布しているのでしょうか。市全体でみると、大同盆地が中心になっていますが、その下の県でも県城(県政府所在地)はすべてが盆地にあり、県と県の境界はほとんど例外なく高い山か丘陵です。お皿のようなものをズラッとならべた状態を考えてもらえばいいでしょう。
     そのような地形では、降った雨はお皿の底に集まります。地表水だけでなく、地下水もたいていはお皿の底に多いものです。土も水といっしょにそこに集まります。降った雨はいったん県城を中心とする盆地に集まり、そこから1本か2本の河川となって、山のあいだを抜けて、華北平原に下っていきます。水と土の豊かさが人間活動のキャパシティになるので、盆地には人口、経済、文化が集中し、政治の中心ともなっていきます。その逆に、お皿の縁にあたるところは、土がやせ、飲み水にさえ困る状態で、たいへん貧しいのです。
     郷や鎮のレベルでも、お皿構造になっており、お皿の底にあたる比較的大きく豊かな村に、郷政府がおかれることになります。そして丘陵や山、ときとして河川などが郷と郷との境界になっていますが、お皿の縁にあたるところの村は貧しくて小さいことになります。
     農村人口の6分の1~3分の1(年によって大きく変わります)が、中国の貧困ライン=1人あたり年間所得500元(1元=約15円)以下で暮らしていて、中国でも有数の貧困地域です。沿海の北京、上海などとの地域間格差は開くばかりですが、あわせて地域内の格差も深刻です。
    気候
     気候区分からいえば、大同は大陸性の温帯モンスーン気候に属し、年平均気温は6.4℃ほどですが、年較差が大きく、いちばん寒い1月の月平均気温が-11.3℃(平均最低気温は-17.0℃)、いちばん暑い7月の月平均気温は21.8℃(平均最高気温は28.1℃)です。
     年間降水量は平均400mmほどですが、地域や年によって変動が激しく、少ない年は220mm前後、多い年は620mmほどになります。平均400mmの降水量は、乾燥地、半乾燥地としては少なくないのですが、問題はその降り方です。作物や植物の芽生える春に少なく、農民は「春の雨は油より貴重だ」といって待ちこがれますが、その時期にはほとんど降りません。夏の一時期に集中する雨が深刻な水土流失をもたらすことは、すでに述べました。
     その上、ただでさえ少ない春の雨に異変がおきています。左のグラフは、大同県の年間降水量をあらわしています。90年代にはいってから、降水のパターンが変化しています。もともと少なかった春の雨がより少なくなり、夏から秋にかけての雨が増えているのです。過去平均の黒い線とくらべてみてください。年間をとおしての数字ではわからない気象の変化が、こんなところに現れています。
     これは地球温暖化の影響かもしれません。気象を決める要素は複雑にからんでおり、証明・予測は困難だけれども、従来から雨が多いところ(たとえばバングラデシュ)はより多くなり、少ないところはより少なくなるだろうという説があります。黄河流域はより少なくなる地域として警告されています。それを季節におきかえてみたら……。雨が少ないときはより少なく、多いときはより多く。グラフと見事に符合するではありませんか。ほんのわずかしかエネルギーを消費せず、温暖化の原因とは最も遠い生活をおくっている黄土高原の人びとが、まっさきに温暖化の影響をうけているのかもしれません。
     大同市陽高県の北部に「高山高」という民謡があり、その一節に「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は日照りで一年は大水……」とあります。この地方の自然と生活の厳しさがみごとに表現されています。 90年代以降をみても、まずまずの年は94年、96年、98年、2000年しかありません。その他の年はすべて旱魃でした。なかでも深刻だったのが99年、2001年で、それぞれ「建国以来最悪」「100年に1度の旱魃」といわれ、種を播くこともできなかった畑が多く、大同市全体で収穫は平年の2割を切るほどでした。
       
     95年は春から夏にかけて深刻な旱魃でしたが、8月の後半から雨が降りつづき、農村の土造り住居、窰洞(ヤオトン)に雨がしみこんでつぎつぎに倒壊し、6万世帯24万人が住居を失う惨事につながりました。これほどのことはまれですが、畑が流されるようなことは、めずらしくありません。
     無霜期は盆地で130~140日、山地では90日ほどになります。遅霜や早霜の害が少なくありません。
     そのほかの自然災害として、春の暴風や砂嵐があり、ときには死者がでます。夏には集中豪雨のほか、雹や落雷があり、冬には凍害があります。
     風は年間を通して強く、地元では「1年に1度風が吹く。春に吹きはじめて冬までつづく」と言い伝えています。
     大同市全体でみれば、盆地、丘陵地、山地がそれぞれ3分の1くらいずつの割合です。
     その盆地、丘陵地、山地はどのように分布しているのでしょうか。市全体でみると、大同盆地が中心になっていますが、その下の県でも県城(県政府所在地)はすべてが盆地にあり、県と県の境界はほとんど例外なく高い山か丘陵です。お皿のようなものをズラッとならべた状態を考えてもらえばいいでしょう。
     そのような地形では、降った雨はお皿の底に集まります。地表水だけでなく、地下水もたいていはお皿の底に多いものです。土も水といっしょにそこに集まります。降った雨はいったん県城を中心とする盆地に集まり、そこから1本か2本の河川となって、山のあいだを抜けて、華北平原に下っていきます。水と土の豊かさが人間活動のキャパシティになるので、盆地には人口、経済、文化が集中し、政治の中心ともなっていきます。その逆に、お皿の縁にあたるところは、土がやせ、飲み水にさえ困る状態で、たいへん貧しいのです。
     郷や鎮のレベルでも、お皿構造になっており、お皿の底にあたる比較的大きく豊かな村に、郷政府がおかれることになります。そして丘陵や山、ときとして河川などが郷と郷との境界になっていますが、お皿の縁にあたるところの村は貧しくて小さいことになります。
     農村人口の6分の1~3分の1(年によって大きく変わります)が、中国の貧困ライン=1人あたり年間所得500元(1元=約15円)以下で暮らしていて、中国でも有数の貧困地域です。沿海の北京、上海などとの地域間格差は開くばかりですが、あわせて地域内の格差も深刻です。
    このページの最初にもどる
    気候
     気候区分からいえば、大同は大陸性の温帯モンスーン気候に属し、年平均気温は6.4℃ほどですが、年較差が大きく、いちばん寒い1月の月平均気温が-11.3℃(平均最低気温は-17.0℃)、いちばん暑い7月の月平均気温は21.8℃(平均最高気温は28.1℃)です。
     年間降水量は平均400mmほどですが、地域や年によって変動が激しく、少ない年は220mm前後、多い年は620mmほどになります。平均400mmの降水量は、乾燥地、半乾燥地としては少なくないのですが、問題はその降り方です。作物や植物の芽生える春に少なく、農民は「春の雨は油より貴重だ」といって待ちこがれますが、その時期にはほとんど降りません。夏の一時期に集中する雨が深刻な水土流失をもたらすことは、すでに述べました。
     その上、ただでさえ少ない春の雨に異変がおきています。左のグラフは、大同県の年間降水量をあらわしています。90年代にはいってから、降水のパターンが変化しています。もともと少なかった春の雨がより少なくなり、夏から秋にかけての雨が増えているのです。過去平均の黒い線とくらべてみてください。年間をとおしての数字ではわからない気象の変化が、こんなところに現れています。
     これは地球温暖化の影響かもしれません。気象を決める要素...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。