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ニーチェ『悲劇の誕生』を読んで
はじめに
ニーチェは、『悲劇の誕生』の、ワーグナー宛ての最初の序言草稿(のちに廃棄されたも
の)の中で、次のように述べている。
「[…]かかる関連において私は、彼らのうちでもっとも優秀な人士に次のことを知らせた
いと思う者である、すなわち、諸君は、日の光に隈なく照された澄み切った湖水を覗き込
んで、湖の底が、あたかも手を伸ばせば届くかのごとく、極く間近にあるように思い誤る
人々と同様であると。真に美しい表面というものは、必ず恐るべき深層を持つものである。
このことをギリシア芸術はわれわれに教えたのである。[…]」
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まさに、ここで言及されている、「美しい表面」と「恐るべき深層」こそが、ニーチェの
言うところの「アポロン的なるもの」「ディオニュソス的なるもの」である。処女作『悲劇
の誕生』においてニーチェは、「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」と
いう2つの世界観の対立と統一の原理によって、ギリシア悲劇の起源と本質を鋭く問うた。
ニーチェは、「ディオニュソス的」な「音楽の精神」を、ギリシア悲劇の歴史的命運を支配
する根源的なものとして捉え、ソクラテス的な理論的楽観主義の台頭がそれを消滅させ、
悲劇の没落をもたらしたと主張、ヴァーグナーの楽劇にギリシア悲劇の再生を見出す。本
書は、古典文献学の論文として書かれながらも、結果的には「ヴァーグナーとの連帯の証
し」
2となっている。
この作品を読んで考えたことを以下にまとめてみたい。
「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」
悲劇は、古代ギリシアで生まれた演劇の1ジャンルで、アテナイの大ディオニュシア祭
(酒神ディオニュソス神の祭儀)で上演されたものである
3。悲劇 Tragödie(tragedy)の語源
となったギリシア語「トラゴイディア」の原義は「牡山羊の歌」だが、山羊は、様々な動
物として顕現した酒神ディオニュソスの象徴といわれており、ニーチェが、ディオニュソ
ス信仰から発生したギリシア悲劇の本質を「ディオニュソス的なるもの」に見出している
のは、悲劇の起源を考えるともっともなことである。
ギリシア悲劇は、台詞によってストーリーが展開する「場面」と、歌と踊りの部分から
なる、いわば「ミュージカル」のようなものであった。この歌と踊りを担当した合唱隊を
1 塩屋竹男訳『ニーチェ全集2 悲劇の誕生』2003 ちくま学芸文庫 p.203
2 永井均著『これがニーチェだ』1999 講談社現代新書 p.59
3 3 人の悲劇詩人がそれぞれの作品を上演して優勝を競う、いわば競技のような形態であった。
2
コロス、コロスの登場する舞台をオルケストラと言い、これは言うまでもなく、合唱
Chor(chorus)、オーケストラ Orchester(orchestra)の語源となっている。このことからも、
現在の音楽が、ギリシア悲劇と深く結びついていることが分かる。ニーチェは、この合唱
隊にギリシア悲劇の根源を見出し、「根源的には悲劇は単に「合唱隊」なのであって、「演
劇」ではない」としている
4。
ニーチェはまず、「ギリシアの世界には、その起源と目標から見て、造形家の芸術、すな
わちアポロン的芸術と、ディオニュソスの芸術としての、音楽という非造形的な芸術との
間に一つの巨大な対立がある」として、この「二つの衝動は、多くの場合公然と軋轢を続
けながら、繰り返し新たに層一層強健な児を設けるように相互に刺戟し合っては、「芸術」
という共
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ニーチェ『悲劇の誕生』を読んで
はじめに
ニーチェは、『悲劇の誕生』の、ワーグナー宛ての最初の序言草稿(のちに廃棄されたも
の)の中で、次のように述べている。
「[…]かかる関連において私は、彼らのうちでもっとも優秀な人士に次のことを知らせた
いと思う者である、すなわち、諸君は、日の光に隈なく照された澄み切った湖水を覗き込
んで、湖の底が、あたかも手を伸ばせば届くかのごとく、極く間近にあるように思い誤る
人々と同様であると。真に美しい表面というものは、必ず恐るべき深層を持つものである。
このことをギリシア芸術はわれわれに教えたのである。[…]」
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まさに、ここで言及されている、「美しい表面」と「恐るべき深層」こそが、ニーチェの
言うところの「アポロン的なるもの」「ディオニュソス的なるもの」である。処女作『悲劇
の誕生』においてニーチェは、「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」と
いう2つの世界観の対立と統一の原理によって、ギリシア悲劇の起源と本質を鋭く問うた。
ニーチェは、「ディオニュソス的」な「音楽の精神」を、ギリシア悲劇の歴史的命運を支配
する根源的なも...